成文憲法(憲法典)は必要か

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 憲法改正の論議は、戦後アメリカにより現憲法を押し付けられてからずっと続いている。戦後のアメリカによる洗脳が強烈だったこと、またソ連の工作も徹底していたこともあり、現在ではマスメディアの首脳部はほぼほぼ護憲派で固められているし、全国津々浦々の小中高大の教員たちも護憲派だし、立憲民主党、日本共産党、社民党、公明党という護憲政党も常に一定数の議席を確保できる状況である。

 

 改憲や洗脳がソ連やアメリカなどにより行われた事実はあるにせよ、戦後72年経っていまだに憲法の一字も変えることができないのは、やはり日本人そのものに原因があると言わざるを得ない。客観的にみての話である。

 

 では改憲をどうするかという政治的な主観的議論になりがちであるが、筆者はここで立ち止まりたい。

 

 各方面の有識者が既に言及していることであるが、ここで生じる一つの問いは、

 

 そもそも憲法典(成文憲法)は必要なのか、である。

 

 イギリスは、立憲民主主義のオリジナルの国である。また議会制民主主義のお手本にもなる国である。そのイギリスには成文憲法(憲法典)つまり、「書かれた憲法」がない。不文憲法である。これまでの慣習や、憲法に関わる判例などの集積をもって憲法としている。

 

 そのため、「イギリスは外国からの侵略があった時に国を防衛する権利がある」などというアホな条文などはないが、普通に軍隊をもち、外国からの侵略に備えている。国防の権利は主権国家に当然のように付与されたものであるので、それを書く必要がないのである。そもそも憲法が書かれていないイギリスでは、そんなことは議論にも上がらない。当然の話である。

 

 イギリスは、長い長い歴史と伝統により蓄積された慣習という「叡智(Wisdom)」と憲法に関連する諸処の判例の集大成により「不文憲法」を有しているとされていることは周知のことである。これを参考にしてみたらどうなるであろうか。

 

 ここで筆者が言いたいのは、「日本もまた、長い長い歴史と伝統により蓄積された慣習という叡智と諸処の判例の集大成により不文憲法を有することができる国である」ということである。

 

 自衛隊のことも、国防軍のことも、国防権のことも、一切書く必要がない。なぜなら、それは、主権国家に付与された当然の権利だからである。

 

 天皇陛下についても同様である。日本が西洋型の民主国家となったからといって、天皇陛下のご存在をいちいち憲法(法律)で書かなくても、当然のようにそのご存在は保証されるのである。

 

 成文憲法というのは実は日本には必要ないものではないか。イギリスがそれを必要としていないのと同じように。

 

 筆者の主観的な提案である。

 

 今回もお読みいただき、ありがとうございます。

 

 初めての方は、このブログを通して貫く基本概念である主観と客観との違いについての説明をしている以下の記事をご覧ください。

 

 主観と客観

 客観についての補足

 外国人には思い遣りがガチでないという事実

 優しさ(主観的)と思いやり(客観的)

 二種類の「正しさ」

 日本の常識は世界の非常識、日本の非常識は世界の常識

 


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