各方面から既に問題視する声が上がっているので目新しい話題ではないが、今回の総選挙で解体した民進党の議員たち。彼らの一方は希望の党へ、一方は立憲民主党へ、また少数は無所属として今回の選挙の臨んでいる。この際、彼らはこれまでの信念や思想信条を全て180度変更した、あるいはしようとした。

 

 具体的にいうと、希望の党へ流れた議員たちは、2年前にあれほどまでに騒ぎまくった安保法制にあっさりと賛成。何が何でも阻止すると息巻いて国会前で新左翼系の若者たちとマイクを握っていた細野豪志は、とっとと泥舟(民進党)から逃げ出し、後から来た逃げて来た議員に「安保法制に反対という議員は入党できない」と、したり顔。まさしく、支那大陸、朝鮮半島でよく見る顔をテレビにさらけ出していた。前原誠司も含め、大陸半島の主要文化である儒教文化を信奉する人たちの本当の顔である。

 

 また立憲民主党、今でこそ再度安保法制反対などと騒いでいるが、つい先日、前原誠司が解党、希望の党への合流を決めた時、安保の問題には一切触れず全会一致で可決した。その後、入れてもらえないという話なって慌てて新党を設立し、再度、「安保法制反対」を叫んでいる。

 

 選挙に勝つならなんでもあり、「命をかけて阻止する」という言葉もあっさりと撤回される。

 

 まさに、節も何もない、なんでもありの人たちである。利益のためなら恥すら感じない。主観性の度合いの高い人たちに見られる傾向でもある。

 

 こういう人たちに、国政、つまりは国の運命を託せるというのであろうか。こういう人たちに投票する人たちは、何を考えて投票するのであろうか。極めて心理学的、また社会学的に研究対象となりうる話である。

 

 政治はすべからく主観的な話である。だから色々な信条があるし、それが認められるのが民主国家である。そういう意味で、憲法9条を死守しろという「意見」も、どれほど非合理的でまた国際情勢の実態にそぐわないとしても、存在はできる。それを選ぶのは個々人の価値判断だからである。

 

 しかしだからこそ、思想信条というのはそう簡単に変わるものではありえない。無論、勘違いからAという信念を持っていたが、ある時に新しく新事実を知ることでBという信念に変えるということは大いにありうる。これは当然で、責められることではない。しかし、今回の旧民進党系の議員の「変節(思想を変えること)」騒ぎは、熟慮の結果でもなんでもなく、単に、「どうやったら選挙に勝って議員を続けられそうなのか」という利益打算でしかない。「節を守る」という倫理感は一切ない。だからこそ、立憲民主党の議員は、一度賛成に変節、またすぐに反対に変節という、小学生でも恥ずかしがってやらないようなことを、国政を決める選挙という場で恥も外聞もなくやってのけているのである。

 

 そういう人たちが、希望の党、立憲民主党、無所属の候補者の中にいる。

 

 読者の皆様はどう考えられるか。

 

 今回もお読みいただき、ありがとうございます。

 

 初めての方は、このブログを通して貫く基本概念である主観と客観との違いについての説明をしている以下の記事をご覧ください。

 

 主観と客観

 客観についての補足

 外国人には思い遣りがガチでないという事実

 優しさ(主観的)と思いやり(客観的)

 二種類の「正しさ」

 日本の常識は世界の非常識、日本の非常識は世界の常識

 


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