筆者が長い間の歴史や世界情勢に関しての戦後民主主義的洗脳から解き放たれたのは、およそ20年程前である。その頃はまだ、シナや朝鮮が声高に主張する「従軍慰安婦の強制連行」やら「南京大虐殺」やらが世間一般では「歴史の事実」として漠然とであるが当然のように認知されていた時代であった。そのため、筆者がその手の話をする際には極めて慎重な配慮が必要であった。

 

 ところがである。今では、もちろん例外はあるものの、特に激しい主張などを交えない限りは、大体において、「シナや朝鮮の言っている従軍慰安婦やら南京虐殺の話って嘘だよね」という認識が、ノンポリ(政治に特段の関心を持たない人々)においてすら、当然のように広がっているのである。

 

 確かに、大東亜戦争の実態やら、歴史の流れやらといった細かい話にまでは通常はついては来ないが、少なくとも、「シナや朝鮮が日本を批判している歴史は嘘だよね」という認識だけは、ほぼほぼ社会的常識となりつつあるし、現になってきているのである。これは本当に、20年前では、考えられなかった状況である。

 

 嘘が明らかになってくる時代

 

 筆者は、この情報化社会を見るにつけ、この言葉が頭から離れない。安倍政権がこれほどまでに攻撃されながらも、それでも倒れず、団塊の世代を中心としたサヨクのマスメディアや教職員たちがいくら断末魔のようなプロパガンダを繰り返して狂騒を呈した安倍批判を繰り返しても、一定の支持率が保たれたのは、まさにこうした、時代の変化に起因する。

 

 嘘が通用せず、明らかになる時代、私たちはその時代の幕開けにいるのかも知れない。

 

 今回もお読みいただき、ありがとうございます。

 

 初めての方は、このブログを通して貫く基本概念である主観と客観との違いについての説明をしている以下の記事をご覧ください。

 

 主観と客観

 客観についての補足

 外国人には思い遣りがガチでないという事実

 優しさ(主観的)と思いやり(客観的)

 二種類の「正しさ」

 日本の常識は世界の非常識、日本の非常識は世界の常識

 


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