初めての方は、このブログを通して貫く基本概念である主観と客観との違いについての説明をしてある以下の記事をご覧ください。

 

 主観と客観

 客観についての補足

 外国人には思い遣りがガチでないという事実

 優しさ(主観的)と思いやり(客観的)

 二種類の「正しさ」

 日本の常識は世界の非常識、日本の非常識は世界の常識

 

 ジャーナリズムの役割について以前に詳しく書いた。重複する部分もあるかもしれないが、今回、改めてジャーナリズムと政治との関係について書いてみたい。

 

 ジャーナリズムの役割は、筆者の意見ではあるが、本来、国民に対して情報を提供することである。単に情報を羅列するのではなく、ある問題があったとしたら、その問題の背景、関係者、詳細、あるいはその問題をあらゆる角度から客観的に観察し、分析した結果を国民に提供するのがジャーナリズムの役割なのである。つまり、色(主観的判断や意見)をつけるのはジャーナリズムの役割では全くない。色(判断)をつけるのは、あくまでも分析された情報を見る国民である。

 

 国民は、ジャーナリストにより提供された色(判断)のついていない客観的に分析された情報を基に判断(主観的)をする。「この場合はこうするべきだろうなぁ」というのが判断である。そして、その国民の声(判断)を反映するのが選挙なのである。ある問題について特定の声が多数をとれば、それが政治的決定として採用される。これが民主主義の原理である。

 

 しかるに現在の日本、および世界のジャーナリズムは、国民に色(価値判断)のついていない客観的な情報を提供せず、彼ら自身の主観的な意見を読む側である国民に洗脳することを目的としている。朝日新聞、毎日新聞、日本経済新聞、NHK、沖縄タイムズ、琉球新報、そして中日新聞、北海道新聞などはその典型であろう。すでに、ジャーナリズムの役割を放棄し、単なる特定の思想のプロパガンダ機関としてしか機能していない。その上、彼らは、自らの主観的な主張を正当化する為に、事実を歪曲することを厭わない(慰安婦問題や南京虐殺問題における朝日新聞や毎日新聞などが典型)。

 

 本来は、ジャーナリズムにより提示された客観的な情報分析を国民がみて、それぞれが主観的に判断し、多数派の意見となったものが、政治決定となるのであるが、ジャーナリストは、自らの主観的意見を国民に洗脳しようとするプロパガンダ集団と化してしまっているところに、今日の社会の問題がある。

 

 筆者の主観的意見ではあるが、朝日新聞、毎日新聞、中日新聞、北海道新聞、NHK、民法各局は、恥というものを少し勉強した方がいいかもしれない。

 

 読者の方々には何かのご参考になればと思う。

 

 今回も読んでいただき、ありがとうございます。

 


国際政治・外交 ブログランキングへ