R6年2月8日(木) 晴れ

子供の頃から大の時代劇好きで、今でも時間がある時は、スカパー「時代劇ちゃんねる」を楽しんでいます。

今日は久しぶりに、録画していた「鬼平犯科帳」の初期シリーズを楽しみました。

ただ、子供の頃によく見たのは「子連れ狼」「水戸黄門」「大岡越前」「桃太郎侍」「銭形平次」「遠山の金さん」あたり。

「暴れん坊将軍」も大好きですが、1983年(昭和58年)に始まった「暴れん坊将軍Ⅱ」の印象が強過ぎて、1978年(昭和53年)にスタートした「吉宗評判記・暴れん坊将軍」の記憶はあまり残っていません。

そして「鬼平犯科帳」も・・。

っと言いますのも、鬼平犯科帳は1989年(平成元年)にスタートだったので、私は大学生となっており、馴染みが薄かったのかもしれません。

でも今見直すと、2代目・中村吉右衛門さんの演技には驚かされます。

特にあの「眼」の演技は神業としか言いようがありません。

第3話 ” 蛇の眼 ” において、偽座頭・彦の一を演じた、山田吾一さんとの「眼」だけのやり取りは、恐ろしさすら感じます。

あんな眼光で睨まれたら・・嘘を隠せないですね。

今、国会議員の「嘘答弁」が、世間を賑わせていますが、2代目・中村吉右衛門さんのような「神眼」で睨まれたら、すぐに本音を吐きますよ(苦笑)

「一切記憶に御座いません」→「いや記憶が・・」→「何となく・・」→「すみませんでした」となるでしょう(苦笑)

私は時代劇が衰退した理由として、” 画質を良くし過ぎた事 ” が一番の原因だと思っています。 

デジタル化はくっきりし過ぎて演技が軽く映るので、時代劇には合いません。

NHK大河ドラマ「龍馬伝(福山雅治さん)」は時代感を出そうと、少しモノクロを入れましたが、デジタル化が邪魔をしたかっこうで、評価はマチマチでした。画像や撮影の進歩が、時代劇には合わなかったという事でしょうね。

あくまで「時代」の劇ですから、画質は古ぼけた方が時代感を醸し出しますので、絶対に良いと思います。

あとは時代劇を演じる役者さんが、現代風の二枚目になりすぎた事や、時代劇俳優としての資質が??なのに、若者人気を得んが為なのか??極端に抜擢し過ぎた結果、逆に時代劇ファンを減らしたように思うのです。

当時は脇役も実力者ばかり。好きだったのは「うっかり八兵衛」の高橋元太郎さん。

蟹江敬三さんや、誠直也さん(ゴレンジャーのアカレンジャー役)、森次晃嗣さん(ウルトラセブンのダン役)・・言い出したらきりがありません。

昔買ったCDがあったはずと、ゴソゴソしていたら・・ありました。

まあ自宅に「鬼平犯科帳」のCDがあるのもヘンですが、これには理由アリ。

勇ましいオープニング曲も好きですが、当時はエンディングテーマの「ジプシーキングス インスピレーション」にハマりまくりでした。

クラシックギターの切なく沁みる音色が、「火付盗賊改方」という武装集団のもつ哀れみを、上手く演出しています。

「鬼の平蔵」こと長谷川平蔵宣以は実在の人物で旗本400石。「火付盗賊改方」は寺社奉行や北南町奉行とは異なり、あくまで1~2年を境とした臨時職です。半年交代制の北南町奉行は3000石増に対し、火付盗賊改方の加役(頭)は1500石増。

元々は「火付改方」と「盗賊改方」にわかれていましたが、田沼意次の賄賂政治や飢饉で治安が悪化する中、凶悪犯が続出。

斬り捨てOK、問答無用の特権をもつ「火付盗賊改方」が誕生するや、その範囲は江戸より遥か離れた天領にまで及んだと言いますから、さぞかし悪党は怖かったと思います。

長谷川宣以の名が歴史に残ったのは、人足寄場の創設に貢献したことが大きいとされますが、江戸市中で強盗および婦女暴行を繰り返していた凶悪盗賊団の首領「葵小僧」を捕らえて斬首する等、劇役以上の暴れ者だった事が伝わっています。

時代劇の主人公は、実在の人物をフィクションとしている事が多いので、実在の人物像を調べながら見るのも楽しいですね。

 

丹波哲郎さんはじめ、幾人もの実力俳優が演じた長谷川平蔵ですが、私にとって鬼平は「2代目・中村吉右衛門」が一番です。

 

「眼」で芝居ができる俳優さんって、昭和には多数いましたが・・今はどうでしょう?

松平健さん、東野英治郎さん、杉良太郎さん、勝新太郎さん、高橋英樹さんも「眼」で勝負できる俳優さんです。

でも「訴える圧力感」は中村吉右衛門さんが一番かも。(あくまで主観です)

歌舞伎役者だから? 中村吉右衛さんが2021年に77歳で永眠された時はショックでした。

 

鬼平犯科帳の初期は、これまでとは一線違った時代劇に感じたのは何故?

同じ「たちまわり(斬り合い)」なら、正直、中村吉右衛門さんは、上手いとは(失礼)言えませんが、緊迫感は凄いです。

「火付盗賊改方」は武装集団であり、北南町奉行所にいる同心とは質が違いますので、おのずと緊迫感の強い作風になるのかもしれません。

余談ながら・・北南町奉行は半年交代制で、北町奉行の方が立場が上。3奉行の筆頭は寺社奉行です。(正式な3奉行は、寺社奉行、北・南町奉行、勘定奉行 となります)

大岡越前では南町奉行として演じられますが、実在の大岡忠相は南町奉行から北町奉行に出世。ついには寺社奉行にまで上り詰めます。

しかし・・元々は1700石あまりの旗本。当然ながら出世妬みを受け、嫌がらせの日々となります。

後に1万石を与えられ大名となる事で、やっと寺社奉行の責務が行えたと言いますから、当時の幕閣はたいへんでした。

今の○○大臣のように「記憶にございません」なんて嘘を言い張ってたら、あっという間に斬り○されますよ。