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1971年(昭和46年)9月24日~11月10日まで開催された、「日本プロレス 第2回 NWAタッグ・リーグ戦」 は、前年、星野勘太郎とのコンビで優勝したアントニオ猪木が、坂口征二とのコンビで二連覇を達成。 
(ちなみに、ジャイアント馬場は吉村道明とコンビを組んで出場。)
決勝はキラー・コワルスキー&キラー・バティ・オースチンという最強コンビ。 一本目は坂口がオースチンを体固め。 二本目は猪木がコワルスキーを卍固めで破る快挙。 猪木株が急上昇していきます。 (反発的な猪木の人気ぶりに危機感を覚えた日本プロレス幹部は、翌年、猪木がクーデターを起こしたとして追放処分に・・・)

そんなNWAタッグ・リーグ戦の真っただ中、日本プロレス史上最低な事件が勃発。 事件を起こしたのは、フランキー・レイン。 身長182cm 体重105kg と小柄ながら、カウボーイ・スタイルが似合うハンサムなレスラーで、第1回大会に出場した際、きびきびした動きが評判となり、外人レスラー唯一の、大会連続出場となった期待のホープ。 ニックネームは ” 西部の若獅子 ” ・・。 得意技はブルドッキング・ヘッドロック。
この大会では、同じくカウボーイを売りにしたボブ・エリスとコンビを組み、新たなる旋風が期待されていたのですが・・。 (当時24歳)

その最低事件とは・・・ 「60歳 老婆をレイプ」 というもの。
早朝散歩に出たレインは、旅行の為、駅に行った孫を見送り、自転車で帰宅する女性を見て発情。 なんとレイプするという大事件を起こしました。 その女性の年齢・・ 60歳くらいと言いますから驚きます。(昭和46年頃、60歳と言えば、相当な婆さん)
その後、知らぬ顔でホテルに戻り食事をする大胆不敵ぶり。 肝っ玉が座っている? いかれている?
結局、その場で逮捕され、事情聴取を受けますが、本人=「自転車に乗っていた女性の尻の振り方がセクシーだったからツイやってしまった」 と話したとか・・・。 当然、強制送還され、二度と来日していません。
★この事件の記事を調べたところ、「新聞配達中の老婆だった」「幼稚園に孫を送った帰りの老婆だった」等、様々あるようです。 今回は竹内宏介氏の記事を参照にさせていただきました。

後にアメリカでも暴力事件を起こす等、かなり性格に難があった模様。 
また極度の女好き。 来日時、レフリーだったユセフ・トルコから、日本でナンパする時は、” 〇〇チャン、オ〇コとチン〇ン、アソビマショ ” と教わったとかで、「ナンパに成功した」 と喜んでいたとか。 
(このユセフ・トルコも最低。 トルコは男子のキン〇をつかみあげる悪さをよくしていたそうで、かなり性癖が悪かったみたいです。 レインも日本に来て、トルコと出会った事で、性癖が悪化したのでしょうか??)

BI砲人気にTV中継での放映料でガッポガッポ儲け、毎晩豪遊していたという日本プロレス幹部には、よいお灸になった事件ですが、被害にあった老婆・・・ あまりに気の毒(いろんな意味で)に思います。
レインは2016年5月24日、多発性硬化症の為永眠・・・。