皆さん こんばんは
今日から卯月……4月ですね
なぜ4月が卯月と呼ばれるようになったかは
説が色々あるんだけどさ
【卯の花が咲く月】という意味で
これが略されて
【卯月】になったというのが有力な説
他には
十二支の4番目にあたる卯(うさぎ)を
4番目の月に当てはめたから
4月が卯月になったって説やら
稲を植える月って意味の
【植月(うゑつき)】
【種月(うづき)】
【田植苗月(たうなへづき)】
【苗植月(なへうゑづき)】
これらが転じて卯月になったって説まで
色々な説があるんだよね
卯月は新年度への入り口でもありますね
新入学の学生さん新入社員の皆さん
おめでとうございます㊗️
卯月というのは何だかウキウキしますよね
ウキウキするといえば…
今日(4/1)は
新元号の発表がありましたね
新元号は……
【令和】(れいわ)
新元号を色々と予想して
楽しんでいた人もいたようですが
予想は当たりましたか
さて…新元号の話が出たので
今回は元号についての話をしましょうかね
今年は天皇陛下が譲位なさる年……
これは119代天皇・光格天皇が
文化14年(1817)3月22日に
譲位なさって以来の事で……
今回は明治以降の憲政史上初の譲位となります
そうなんです
我々はすごい瞬間に立ち会っているんです
それに伴い改元となるわけです
『今日で平成最後だね〜』って
今日も勘違いしている人が多くいましたが
今日(4/1)から
令和元年になるわけじゃないからね
4月30日までは平成31年
令和元年は5月1日からです
元号っていうのは
元々は支那から日本に伝来したもんなんだわな
世界で最も古い元号は紀元前2世紀に
前漢の武帝が定めた【建元】で
支那は清王朝まで元号を使用していたけど
今は元号を使ってないんだよね
遠い遠いむか〜しの話…
東アジアの文化の中心は支那でした
その支那では天子(皇帝)が特定の時代に
名前をつける行為は天子(皇帝)が空間だけでなく
時間をも支配するという
思想に基づいていたんだわな
【正朔を奉ずる】(せいさくをほうずる)……
つまり天子(皇帝)が定めた元号と
暦法を用いる事こそが天子(皇帝)や
王権に服従する条件だったわけさ
これは支那国内だけじゃなく
支那の王朝の冊封を受けて朝貢をしていた
周辺諸国も同じだったんだ
支那には【天に二日無し!土に二王無し!】
こういう言葉があるんだけどさ
これの意味は
【天に二つ太陽がないように
国家にも二人の君主がいちゃいけない!】
つまりさ
【太陽も君主も1つだから価値があるんだ!】
そういう事を言っているわけさ
今も昔も支那人は
『中華こそが宇宙の中心アル!
あとは絶対絶対みとめないアル!』
そういう中華思想を持っているわけよ
『朝貢とか冊封とか何なの』
またそこからかい(笑)
さっき言ったように支那は中華思想の国だからさ
対等の立場の国だとか
地方なんか絶対ありえないわけさ
それで実質的な支配がおよばない国や地域とは
朝貢冊封外交ってのをしたわけだよね
朝貢ってのは要は支那の実質的な支配のおよばない
地域や国が支那の天子(皇帝)の正統性を認め
それに服従するために貢物をする事で
冊封ってのは朝貢してきた地域や国に対して
支那の天子(皇帝)が
その地域の支配権を認める事なんだわな
国史の授業を思い出してみ
卑弥呼の時代にも朝貢をしてさ
金印だの鏡だとかもらって
【親魏倭王】とかってさ
地域の王って認めてもらってたでしょ
あれが朝貢冊封外交よ
日本での元号は皇極天皇が史上初の譲位をなさり
孝徳天皇が即位され難波宮に遷都された時代に
はじめて【大化】という元号を使いました
ちなみに元号を使うまでの日本は
元号の代わりに十干十二支を使ってたんだよ
十干十二支がわからない人は
先日オレがキャスで暦や十干十二支について
2回にわたり話をしているので
ココから入ってきいてみてください⇩
十干十二支を使っていたから日本書紀なんかでも
神武天皇が東征に出た年は
【甲寅の年】と記載されいるし
神武天皇が即位された年は
【辛酉の年】とか書いてあるんだ
ちなみに日本は聖徳太子の時代に
朝貢冊封外交をやめて
それまで天皇の事を
大王と呼んでいたが天皇に改めて
独立の道を選んで歩んでいき
元号も独自の元号を使うようになるんだよ
日本は朝貢冊封外交から脱した後も
遣隋使や遣唐使は送ってるんだよ
ただ対等国として外交をし
良い物はキッチリとりいれる形だけどね
それでも唐は日本を朝貢国として見ていたから
菅原道真の時に日本は
遣唐使を送るのをヤメるんだよね
さて…大化にはじまった日本の元号は
7世紀に一時中断した事もあったけど
その時期をのぞいて今回発表された
令和まで連綿と続き
248の元号を積み重ねてきたんだよ
『なんで今上天皇が125代なのに
元号が248もあるのさ?』
そう思った人も多分いるよね
明治以降は改元が天皇即位に伴う
いわゆるひとつの【代始改元】であって
天皇一代につき一つの元号っていう
【一世一元】だから今の世代の我々の中には
今上天皇が125代なら
当然ながら元号も125だと思っている人が
多くいるのも無理は無い話なんだよね
でもさ歴史を紐解いてみるとわかるけど
元号って割に頻繁に改元されてるんだよ
ちなみに改元には色々な理由があってさ
例えば大化の次の元号である
白雉(はくち)なんかわさ
【珍しいキジをもらっちゃったエヘっ】
そんな理由で白雉に改元されたんだよね
大宝なんかもさ
【黄金をもらっちゃったエヘっ】
そんな理由で大宝に改元されているし
養老なんかは
【若返りの滝を見つけちゃったエヘっ】
こんな理由で改元されているんだよ
こういった吉兆が
あらわれたのを機に改元するのを
祥瑞改元って言うんだよ
(しょうずいかいげん)
時代が進んでいくにつれて
災害やら疫病の流行や干ばつなどによる
改元が増えてくるんだよね
中でもかわっているのは
【ほうき星があらわれた】が
理由で改元された久安ね
こういうのは災異改元って言うんだよ
日本は言霊の国でしょ
だから中には語呂が悪くて改元なんてのもあって
明和9年には大火災やら大水害が起きたんだけど
【明和9年は迷惑年につながる】って事で
安永に改元されたんだよね
ちなみに最も長く使われた元号は何だかわかる
ブッブゥ〜残念でした時間切れ
皆さん良く知っている昭和で62年
ちなみに平成は第4位なんだよ
逆に一番短い元号は何だかわかる
ブッブゥ〜残念でした時間切れ
一番短いのは暦仁で僅か2ヶ月
ちなみに元号って漢字2文字のイメージでしょ
でもね4文字の時代もあったんだよ
天平感宝(てんぴょうかんぽう)
天平勝宝(てんぴょうしょうほう)
天平宝字(てんぴょうほうじ)
天平神護(てんぴょうじんご)
神護景曇(じんごけいうん)
僅か四半世紀の間に
これだけの四文字元号が並んでるんだよ
『元号なんか廃止して西暦にしろ』
『元号と西暦が別々だと覚えにくい』
などとのたまいける赤い猿がいたりしますが
元号と西暦が別々だと覚えにくいってのは
単にテメェがバカなだけだろうがよ
どたわけが
西暦なんてもんは正直ただの通しナンバーだろ
元号にゃその時代の願いがこめられているし
何より『あぁ〜昭和は良かった〜』なんて
文化や世相や風俗や
時代そのものをあらわしてるんだから
絶対に元号は必要だっての
だいたいだな国史を教える際も
年号は西暦じゃなく元号を先にもってきて
教えろってんだコノヤロ〜
だいたい本当に国史が好きな人は
元号で歴史的事象を覚えるしな
俺だって国史の事象を
西暦でド忘れする事は多々あるけど
元号の方はまず忘れないもんな
さて…平成の次の元号は令和に決まりました
今までの元号は支那の古典が典拠でしたが
今回はじめて日本の万葉集から採用されました
これに関しては支那も韓国もマスメディアが
大きく報じているそうですな
脱・支那
そう感じたから大きく報じたんでしょうな
いつまで朝貢冊封外交のつもりだたわけ
先ほども言ったように令和の典拠は万葉集
その万葉集の巻五
梅の花の歌の三十二首の序文だ
【初春令月、氣淑風和
梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香】
(初春の令月にして
気淑(きよ)く風和(やわら)ぎ
梅は鏡前の粉を披(ひら)き
蘭は珮後(はいご)の香を薫らす)
初春の何事をするにも良い月
空気は美しく風は穏やかで
梅は鏡の前の美人が白粉で装うように咲き
蘭は身を飾る衣に纏う香のように香らせる
今日は新元号の発表にちなみ
元号の話をザックリしてみました
元号の話は面白いので
時間をとってまた細かく書く機会をもうけますね
だから今日はココまで
またね