朱里エイコ 北国行きで 昭和47年、冬、山形① | TAKのブログ

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 昭和48(1973)年1月、小6のワタシは、2学年年上の従兄と二人の母の郷里、山形を目指し、大阪発青森行き夜行急行「きたぐに」に乗り込んだ。寝台車も連結されていたが、二人は普通のクロスシートの客車。彼は学割、ワタシは子供料金。しかし168㎝あったワタシには、途中交代した乗務員すべからく疑義を感じていたようで…そりゃそうだ。中学生二人の長旅ならまだしも、中2と小6の組み合わせの長旅は、おかしい。しかもこんなに身体がデカいけど、小学生を証明するものは何もない…

 二人はこの列車で、大阪から山形県余部まで乗車した。

 ところでこの急行「きたぐに号」は、二人が乗車したふた月前に「北陸トンネル火災事故」を起こし、30人もの死者、700人以上の負傷者を出していたので、乗車するにあたりとても緊張した覚えがあります。そして、当該トンネルに入る寸前に、哀悼の旨の車内放送があったと記憶しております。
きたぐに号北陸トンネル火災事故←リンクです 

 母のきょうだいは10人。うち長男・次男は戦死。三男が跡目を継いだ。それ以外の7人は姉妹。ご一緒した従兄は四女の息子、ワタシは五女の息子。昭和40年代の山形の冬はまだまだ雪深い。囲炉裏を囲んで明治生まれの爺様、婆様の昔話をしっかりと聞くことができた。

家具調ステレオ ところで母の長女(大正10年ー1921年生まれ)のお宅(いわゆる嫁ぎ先)を訪問した時、家具調のステレオが、家の中での唯一板の床に置いてあり(畳の間だと、ちょっと動けば針が飛ぶ)、そこには、数日前に紅白歌合戦でその歌唱力と脚の美しさを示した、朱里エイコの「北国行きで」のEP(シングル)盤が置いてあった。


 ワタシの自宅には、前年自分のお年玉で買った、サンヨーのポータブル・ステレオしかなく、低音域がガンガン出てくるこの音響に魅了されてしまった。イントロの「ドドッドドドドン」という重低音がはらわたに響いてきて、そして窓の外には2階に届きそうな積雪。見慣れぬ光景とサウンドにクラクラしてしまい、おそらく10回以上は再生したと思う。





 母の長女の「嫁ぎ先」は、ムラ(大字)のインテリさん。たいそうな知識人で達筆。威厳のある話し方の、明治生まれのご主人だった。何を話したか思い出せないけど、関西に住む連れ合いの妹の息子を、なぜか気に入ってくれたようだった。その時従兄は、自分の父の出身が隣のムラだったため、そっちへいっていたと記憶する。ワタシの父?それは南方系でして…

 
 それにしても12歳男子からすると、朱里エイコは「大人のおんなの人」だった。脚が綺麗とか、ベビーフェイスなのにどうのこうのとかではなく、本当に「大人のおんなの人」だった。

 だが……

今、動画を確認すると、エイコちゃん、自分の娘くらいの年齢の、あどけなさが残る少女だったことがわかる。とすると、23歳違いのわが亡き父は、朱里エイコをどのように見ていたのだろうか。ちょっと気になることでありまする…


朱里エイコ