天孫とは彼らのこと。

ではその神殿、底津岩根はどこにあるのか。

 

 

★前回の記事


 

☆3 神殿*底津岩根

☆4 国津神・猿田彦神

 

  神殿*底津岩根

 

瓊瓊杵尊は天孫降臨した地で、宮を建てることにした。

 

底津岩根に宮柱を立て、高天原に千木を高く立て

 

その記述は神話の中で三度出る。

 

☆大国主神へとスサノオ命が須勢理毘売(すせりびめ)と住めと告げた地

 

☆国譲りの時に、大国主神が隠れる宮として提示した地

 

☆瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)による天孫降臨で彼が住まう地(*1)

 

神話の神はすべて二柱であり、同じ記述があることは同神を意味している。

(毎回、同じ説明になります~)

 

 

 

やはり、瓊瓊杵尊も彼と同神。

彼が天孫降臨した地は、神の所在地ということだ。

 

国譲りをした、された関係の天照神と大国主神は同神。

☆譲った譲られたは同神を示唆している。

英彦山の大己貴命は忍穂耳命(おしほみみのみこと)に山を譲っていた。

 

彼は住吉神である高良神=饒速日命。

 

ゆえに、元宮の現人神社があるこの地にそれもあった。

 

神の住い、底津岩根。

それが安徳台。

 

安徳台

 

これが宇迦山の麓に在る底津岩根なのだ。

 

スサノオ命が大国主神に告げた言葉にある。

 

宇迦能山(うかのやま)の麓の底津岩根(そこついわね)に宮柱を立てて

 

 

彼が祀られる出雲大社の裏には宇迦山がある。

まさに大社は「宇迦山の麓」。

それは見立てであった。

 

宇迦山とは彼らの名を冠する山。

久士布流多気である櫛布留岳=脊振山。

 

彼らは宇迦之御霊であるから、かの山が宇迦山でもある。

 

その山の麓に底津岩根があったのだ。

 

 

正面下にある大地が安徳台。

脊振は山の右手の奥。

 

以下、詳細。

 

 

なお、日本書紀には浮渚在平処(うきじまりたひら)とある。

 

様々な訳があるが、平らな処がある浮島ではないのか。

 

中央、安徳台
 
1800年前、海は今よりもずっと内陸にあった。(塩原まで)
ここから見れば海に浮いてるように見えたかもしれない。

 

(*1)前回にも書いたが、ニニギ命は天鈿女と塩土老翁に、この地に住むことを助言されている。

➡皇祖神からのお墨付きをもらったことになる。

➡言い換えれば、「天孫として地上に降りた者」との後押し

 

 

  国津神*猿田彦神

 

天孫、瓊瓊杵尊は地上に降る際、国津神の猿田彦神に先導される。

 

国津神から、地上の主になることを歓迎された証になる。


この地は猿田彦神発祥の地と伝えられていた。

日吉神社は、最澄さんが日吉大社に勧請したとされる元宮の一つだ。

 

日吉神社*那珂川市

 

住吉神である彼が猿田彦神であり、この地が神話の舞台なので、元宮は正しいということになる。

 

 

かの神は光り輝く姿から、国津神の天照ともされるが、実は、天照そのものであった。

 

☆猿田彦神=饒速日命=男神天照

皇祖神からの地上支配のお墨付きをもらったことにもなる。

 

 
遠くに見えるのが脊振山。
左側に見える安徳台と、右側の山との間が地形の「岩戸」になる。

 

 

彼は隠された。

この地の「岩戸」に眠る神が彼なのだ。

 

ここが神話の全てであり、天岩戸なのだ。

 

 

★他に登場する神等も同神、また、彼を示唆するものとなる。

天鳥船神➡饒速日命を示唆するものなど

 

 

以下、神話の舞台のまとめ。

 

 

 

( つづく )

 

 

神話の神は全て同じ。

なので、彼らの物語はシチュエーションを変えて何度も表現される。

その度に同じことを記しますが、検証目的でもあり、忘備録でもあるので残します。

 

 

 

*参考

岩波文庫「日本書紀」

角川文庫「古事記」中村啓信 著

 

 

 

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