神功皇后が滞在したという伝承がある。

聖母神何に祈り、何を祀ったのか。

★前回の記事

 

福岡県糟屋郡久山町山田にある

「山田邑斎宮(やまだむら いつきのみや)」。
銀杏が色づいていてとても綺麗だった。
(行ったのは11月)

 


 

 


 

神功皇后が宮を構えた地。


 

(上の写真の由緒書きより)

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 神功皇后と斎宮
 
  神功皇后は、「古事記」「日本書記」に登場し、日本史上はじめて朝鮮半島へ出兵したと伝えられる人物です。

「日本書記」巻第九神功皇后(気長足姫(おきながたらしひめ))の章には、夫である仲哀天皇がお亡くなりになられた香椎宮、応神天皇をお産みになられた宇美八幡宮などとともに斎宮のことが記されています。


   「日本書記」によると神功皇后は仲哀天皇が香椎宮でお亡くなりになると小山田邑(むら)に斎宮を遷らせ、自ら神主となられています。この斎宮の故地について、江戸時代の学者貝原益軒が「筑前国風土記」のなかで次のように述べています。


   「聖母屋敷 上山田にあり。其所に 神功皇后の御社あり。是 神功皇后斎宮の址(あと)なるにや。」「此山田村、香椎に近ければ、此村にある聖母屋敷こそ、まさしき斎宮の址には侍るべき。」


  ここ山田の地に鎮座する斎宮は、日本最古の国史に記載された「小山田邑 斎宮」の此定地とされる神社です。千数百年の間、人々に深く信仰され、大切に守られてきました。


   町内には、六所宮跡や審神者(さにわ)神社など神功皇后にゆかりの深い神社や、神功皇后を描いた絵馬などが多く残っています。

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聖母屋敷の「聖母」は「しょうも」と読む。


神功皇后が八幡神であるという応神天皇の母であるとされることから。

香椎宮で仲哀天皇が亡くなった後、こちらの斎宮に移り、七日七晩祭事をしたとされている。

前回の記事の「黒男神社」にもあったが、黒男神社の場所は、その時に武内宿禰が陣を張った場所になる。

 

 

初めてこの場所を知った時、「斎宮」という名を聞いて初めに浮かんだのは、伊勢神宮における「斎宮」の存在。

三重にある「斎宮」は、天皇に代わって伊勢神宮に仕える為、天皇家の皇女が住まう地(役所)であった。

かなり前に行ったが、「仕える者が住む地」にしては、伊勢から随分離れてるなという印象だった。

 伊勢の神は祟る為、祀る。
 天皇家は近年になるまで、伊勢神宮に参拝することがほとんどなかった。


「祟る神」かどうかの真偽は分からないが、「仕える者の地」が遠い理由としては、納得ができる。
 

 

だが、この場所は、九州の伊勢とも言われている「伊野天照皇大神宮」にとても近い。
ほぼ直線距離で1.6キロ。
歩いても30分程。

「伊野」のご祭神は、天照大御神。

その天照は、「撞賢木厳御魂天疎向津媛命((つきさかき いつのみたま あまさかる むかいつひめのみこと)」とされている。

 

 

この記事をココログで書いたずっと後に知ることになる。

女神天照は、御炊屋姫であり、神功皇后自身。

 

男神の天照が饒速日命であり、高良神に繋がる。

彼の后が神功皇后であり、御炊屋姫なのだ。

 

 

 

 

ここの後、伊野天照皇大神宮へ向かった。

その時の記事。

 

 

 

社に鉾があった。

 

女神に「鉾?」

そこから、高良神に繋がったのだ。

 

 神社で感じた違和感は、神に繋がると感じている。

 


(ココログ2017/11/18 改訂)

 

 

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