年が明けてからだったと思う、中国武漢で
新型コロナウイルスによる感染症が発生している事態を認識したのは。
ふ~ん、また中国方面?と、まだその時は対岸の火事の意識だった。
そのうち武漢に在留している日本人を帰国させるべくチャーター便が往復するようになる。
春節の休日を間近にして、中国人観光客が大挙して訪日するだろうことに危惧を抱く。
感染者が乗船していたことがわかった客船ダイヤモンドプリンセス号が横浜港に入港する。
発症までの潜伏期間が長いウイルスと知り、まさに新型の得体の知れなさを感じる。
ここから、初めて経験する緊急事態宣言まで約2ヶ月。
もし風邪の症状が出たら、それが風邪かどうかすぐにわからない。
検査を受けられるのかもわからない。
万一感染したら職場をえらいことにしてしまう。
だから体調を崩すわけにいかない。
マスクの品切れ状態は続く。
度々ドラッグストアを覗くことに疲れ、マスクは店頭には無いものと決めて自作する。
転売のための買い占め。
誰もが同じ危険に晒されている時に恥を知れ!と思った。
余計なことにペーパー類まで品切れ状態を起こす。
パンデミック、オーバーシュート、クラスター、初めて耳にする言葉ばかり。
こんな国難、いや世界難になるなんて。
それにしても発生源の中国は、各国に対して何か一言ないのかなと思う。
まあ、謝らない国民性だからなあ。(小声)
テレワークも、10万円なんていう給付金の支給も初めてだ。
家の外に出たら、世の中全てがペンキ塗り立てあると思って行動するのが良いという。
何かに触ったら手を洗う、買って来た物や外から持ち込んだ物は拭く。
全てにペンキが付いてるわけだからから。
貨幣も同様だが、図らずも数年前からキャッシュレス生活だった。
昔からスーパーというところが好きではないため(正確に言えば食料品の買い出しが好きではないため)、行く回数を極力少なくなるようにしていた。
自宅でやることをたくさん抱えているため、それらが片付かない限り遊びには行かないという状況だった。
用事は通勤の日の昼休みなどに済ませて、休日は極力出掛けなくても済むようにしていた。
考えてみると、以前から「新しい生活様式」みたいな日々であった。
ただ、自分の勝手で出掛けないのと、自粛して出掛けないのとは違う。
閉塞感がある。
ウイルスと共存しなければならないなら、オリンピックは勿論のこと、群衆を成すようなイベントはもう無理なのではないか?
人口が集中する東京の、それも都心に家を持つことの利便性とステータス。
だが3密のひとつである「密集」。
自然災害時でもリスクになるというのに、それでも都心の土地は価値があるのか。
満員電車で通勤しなくて済むリモートワークの波及と価値観の変化により地方分散が進むことを願う。
ウイルスというものは高温多湿に弱いと思っていた。
だから冬になる前までは、新しい生活様式を守りつつ自粛期間を挽回する活動ができると思っていた。
しかし緊急事態宣言解除から1ヶ月、また勢力を拡大し始めている。
国や都は、人や企業に対していつまでも「要請(強いお願い)」でいいのか?