い1番 | fukkoのココロと日常(さわちゃん)

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還暦を迎える主婦の
人生観や日常をブログに
つづります

私は母の1番になりたかった

私が、3歳の時に事故で父親が亡くなり

母は再婚はしなかったけど

2回男の人は変わった

父親が亡くなってすぐの時は

私が小さい事もあり

神戸の祖父母に預けられた

大阪に住んでる母とは1週間に一度しか会えなくて母が来る日はとっても楽しみだった

祖父が死んで祖母と大阪へ引っ越ししても
母の仕事の関係と男の人と住んでたから
一緒には住めなかった

中学2年生になって
私の反抗期でお手上げの祖母に変わって
母と住む事になったけど
母の家は狭いし男の人もいたので
私は母の隣の部屋を借りてそこに住んでた
ご飯を食べる時だけ母の部屋に行き
その後は自分の部屋でテレビ見てた
隣から母と男の人の喧嘩の声が聞こえるたびに
いつか犯罪者の娘になるんじゃないかと
怯えるぐらい激しい喧嘩で
母は全然負けてなかった

私が高校3年生の時
別の男の人と住むようになった
その時は一緒に母と男の人と住むようになったけど
私がその男の人に無愛想にしてると
母に叱られた

母は私より男の人の方ばかり見てて
私の事見てないと思ったし
私の事は後回しで男の人が一番なんだなって思った

だから母の1番になりたかった

母の、1番になれないと思えば
友達やその時の、彼氏や今の旦那
私と関わる人達みんなの1番になりたかった

友達が他の人と仲良くしてたり
楽しそうにしてるのを見ると悲しくなった😢

友達や旦那
私の事好きって言ってくれてるし
そのままでいいよって言ってくれてるのに
その言葉が受け取れなかった

やっと今仁さんを知って4年
オープンカウセリングに行きだして1年
心屋のお友達が出来てほぼ1年
その人達の優しさにやっと受け取れるようになってきて
人を信じられるようになってきて
私は1番じゃなくてもいいって思えてきた
1番2番なんて関係なくて
旦那や友達が好きって言ってくれる事は本当だし
母親は生きるのに精一杯だっただけで
私の事を思ってくれてた

私が私の事1番にしたら良かったんだ😵
今ブログ書きながら気づいた😵

私が私の事1番にしないから
誰かの1番になろうとしてたんだ
なぁーんだ😢
笑える😆

ブログを書く事っていいね👍
自分の気持ちに気づいていく

よく頑張ったね
私✋️