江戸の風習2-10
吉原遊郭の盆燈籠もあります。名妓「玉菊」を偲んで追善供養で7月に仲の町の茶屋に燈籠を飾りました。「燈籠を 出して火に入る 虫を待ち」ここで気を付けるのは、あまりガツガツしない事で、それをすると客が逃げてしまう。表に出さないように搾り取るのが上策で、客が破産しようが,夜逃げしようが、遊女は非情が第一である。情が有って涙もろくては、この商売は勤まらない。「情をわきまえ心よわく涙もろき儀は、かたく致すマジく候」一番いけないのは客に惚れることである。それに対して「遊女は決して惚れてはいけない。絶対にである。同時にどんなに見栄えが悪くとも、客である限りは鄭重にもてなさいといけない」 吉原月見夕方6時頃になると夜の部が始まります。若い者(吉原では年を取っていても、男は全て若い者です。「これ爺い 若い者とは 其の方か」そして営業開始若い者が鈴を振ると遊女の登場下級遊女から格子の前に坐ります。最後に最上位の遊女が孔雀模様の打掛を羽ばたく様に中央に坐ります。これが張見世です。同時に三味線みたいですが清掻きが始まります。新造女郎が弾きますが、客が付かないと何時までも三味線を弾いている事になります。「撥は動かず 首はがくうりがくり」居眠りしてしまい、首だけが動いている 新造女郎新造女郎とは、未だ見習いですから手を出してはいけませんで、偶々、まわしを喰ってお預けを喰った客は、新造女郎が来ますが手出し厳禁です。添い寝だけです。営業は4つ(午後10時)ですが、実は2時間ほど延長を黙認されてます。ですから、9つ(午後12時)になると時の鐘を聞き拍子木を打ち終了を告げます。「吉原は 鐘まで嘘をつくところ」 見返り柳朝、前夜を思い出し振り返りながら帰って行くのです。「きぬぎぬは 粉の無い餅を切るような」きぬぎぬとは、「後朝」遊女と客の朝の別れです。必ず次回も来てねと、ベタベタして客をいい気にさせるが送り出せば自分は一寝入りです。「きぬぎぬの あとは身になる 一寝入り」ただ、全員が全員好い目にあった訳ではありません。(大一座 振られた奴が起こし番」大一座というのは団体客のことで、花見や葬式崩れが多い。花見ですと、隅田川や上野山に花見に来て、その勢いで来た客である。葬式は、浅草三ノ輪付近は寺が多いので、必然的に葬式が終わると「お清め」と称して寄って行く人も多い。ですから、葬式が無いと寂しがるタイプです。当時の葬式は、寺自体が町のはずれにあるし、野辺の送りと云って、葬列を作って寺まで行きます。かなりの時間が掛かる事になっていました。大体、勢いで来るのが多いですから、懐中にはあまりありませんで他人の懐をあてにします。従って、高級な遊女などは付けられませんで「ねきもの」と呼ばれる売れ残りを付けます。 手紙を書く遊女又、料金を払ってるのに遊女が来ない。これを、「振られる」と云い、それに文句を付けるのは野暮とされた。幾ら待っても遊女が来ない。廊下を走る上草履の音がするので、やっと来たかと思うと、直ぐ他の部屋に行ってしまう、かと思うと枕元で営業用の手紙を書いてる。書き終わったと思ったら、仮病の癪が起きたとされる。布団に入ったら背中を向いてしまったので、尻を撫でると「もてぬ奴 尻を弄って 叱られる」 張見世絵のように暗かったでしょうね。よく感じが出ています。だから見易い様に、厚い化粧を、白粉を塗って目立てさせたのです。この辺は、大奥の厚化粧の白壁造りと同じかもしれない。