参勤交代の大名の行列が品川、千住、四谷などで出入りして

賑わしい月である。

品川・高輪辺りでは行列の長持歌が潮干狩りをしている

浜辺まで聞こえたという。

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又、上旬には勅使下向がある。

幕府では大名二家にその接待を命じます。

高家の吉良家は大名2家を指導教育する立場であり、

高家という言葉は、本来、名族(家柄の高い人々)という意味で

役職として使用されたのは江戸時代からである

 

元和元年(1615)石橋・吉良・品川の3家が任命され。

末期には300家にまで増えたという。

中でもその中で石橋・吉良・武田・織田・六角などの家は、

肝煎として選ばれた。

 

高家は大名ではなく5千石以下であるが禄高に比べ官位は高く

従4位下で中には侍従になった者もいる

でも、広南象も従4位を与えられ、天皇にも拝謁した

役料は300俵、役高は1500石、3名が殿中で宿直、

詰所は譜代大名が詰める雁の間で寺社奉行・奏者番の隣で

江戸町奉行の上だった。

 

従って浅野家は広島浅野家の分家ですから官位は低く、

5位下、小大名の就く官位です
問題が起きたのは、浅野の吉良への刃傷、忠臣蔵です。

松の廊下事件が有名です。

事件を聞いた5位綱吉は、直ぐ喧嘩両成敗の原則を忘れて、

不公平な裁きをしたので、それを不満とした旧浅野家家臣が

討ち入りをした。

 

江戸城内での事件は意外に多く、有名なのでは田沼老中の息子が

若年寄という重職にあってだが城内で刺殺された。

この影響は大きく田沼の権力が低下する大きな一因となった。

 江戸城・松の廊下

庭に面した所は普段は締め切ってるのでうす暗かったでしょう。
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上巳の節句・桃の節句の月でもある。

この月は雛市も有り、雛祭りが近づいてくると、花売りがやってくる。

桃の花や桜花、山吹花などを籠に入れて「花ィ、花ィ」

と呼びながら花売りが来る。

桃や桜は雛祭りには欠かせない花である。

 

丑の日には、湯屋では、桃の葉を風呂に入れて

桃葉湯を作りました。

桃葉は、日焼けや、湿疹、あせも、虫刺されなどに効果が

あると言われていたからです。

 

参考までに家庭でもできる桃葉湯。

  1. 約30枚の桃の葉を布袋に入れて約15分煮出す。
  2. 煮汁と布袋をお風呂に入れればできあがり。

他には、正月の菖蒲湯、6月土用の桃葉湯、冬の柚子湯があった。

この日は、湯銭とは別に12文のおひねりを番台のところの

三方に出します。

番台の前の三方に山盛りになってるのが「おひねり」

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湯銭は天保の頃だと、大人8文、子供6文、乳飲児4文、糠4文。

4文銭が普及してるので4文が基準となり、

今の百円ショップに似てる4文屋が大繁盛した

天ぷら屋と並んで四文屋がある

職人尽絵詞(しょくにんづくしえことば)」に見る江戸時代の職業 ...

上記の様に、正月の初湯、5月の菖蒲湯、6月土用の桃湯、

そして、柚子湯の時がおひねりの必要な時だった。

湯屋から茶が出ます。

 

  高田の馬場姿見の橋
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山吹は、今の高田馬場付近であり、古くから山吹の名所と云われた。

太田道灌の有名な故事「七重八重花は咲けども山吹の

蓑一つだになきぞ かなしき」で知られている。

  山吹の里
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或いは、桜草売りも来る。

戸田の河原付近に咲く花で、ふさふさと薄紅色の花は

「売り声も鄙めきたるところ、都の春に趣を添える。

己に桜の手踊、振り事すらつくられたり」