江戸の正月に戻ります

午後になると、「お宝、お宝」と云いながら初夢のお宝売りがやってくる。

お宝の紙には七福神の神が乗った宝船や宝尽くしの絵と

なかきよのとおのねふりのみなめさめなみのりふねのおとのよきかな」と、

上からでも下からでも同じに読める文句が書いてある。

  宝船売り
メタボンのブログ
このお宝の紙を枕の下に敷いて寝ると、

目出度い初夢が見られるという。

初富士2鷹3なすび」である。

 

3日の登城参賀は諸大名の嫡子や無位無官の者、

奈良・堺・伏見などの由緒ある大商人である。

  江戸城大広間

この日は、江戸城で謡初めの儀式がある。

将軍を始めとして、御三家・御三卿・老中・有力大名が大広間にて

演舞される能を拝見するのです。

能は足利幕府から伝わる公式行事に欠かせないものであり、

徳川幕府もそれに見習って、能を必ず行事の時に催した。

披露されるのは、縁起の良いものであり、「四海波」「老松」「東北」

「高砂」を謡い、将軍は、自ら肩衣を脱いで観世大夫に与へ、

これにならつて御三家をはじめ列座の諸大名は、

いづれもその肩衣を観世大夫に投げ与へ、

そして老中の祝儀の挨拶があつて式を了る。

この時うける肩衣の数は夥しい物で、多いときは長持に五つ六つから、

少くても三つを下らなかつたそうである。

これで年間の遣り繰りが出来たと云いますから、

莫大なものであったのでしょ。。

 

能は公式行事に付き物ですが、御家人から旗本へ昇進してきた武士は、

まず最初に、永世旗本として認められ、家督相続の時に子息が自動的に

御家人ではなく、旗本で最初からスタートできることを喜び、

次に、布衣となって、こうした能の行事に参加できることが

出世のバロメーターであり、目標でした。

幕末の有能な官僚であった川路聖謨も初めて臨席できたことを喜んでいた。

 謡初め
メタボンのブログ

又、御城では判初めの日である。

老中奉書など幕府の書類を作成する最初の日です。

 

未だ、町は商家は商売を始めてないので静かである。

勿論、買い物もできないので、餅とお節料理で三が日を過ごす。

 

4日になると町は平常になってくる。

商家は商い始めで店を開けて営業し、職人は道具を神棚に飾り

柏手を打ち細工始めをする。

  商い始め
メタボンのブログ