初日の出

初日の出を拝みに名所の愛宕山・

神田。湯島・芝高輪・深川洲崎の高台に出かける。

「東都歳時記」には、「洲崎、芝高輪の海浜、神田の社地にて

日の出を拝する輩、今暁7時より群集す」とあり、

他の本にも記されてるので

日の出を拝む最適の地であったのでしょう。

 

「江戸風俗往来」では、人々の衣服は派手なものは着ない

男女ともに木綿絹を選ばず、唯新調で打ち揃って

日の出を拝した」

午前4時頃から集まったという

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御屠蘇

年内に出入りの医師から贈られた屠蘇は、まず赤い絹の

袋を縫って中に入れ、除夜の内に井戸水に浸しておく、

早朝若水を汲む時取り上げて、お銚子の酒の中に入れた

始めに浸しておいた水を飲むと年中の邪気を避けると

言われた。

屠蘇酒は年賀に来た人に上げるのが礼儀で多くは

少年から飲み始め長老が最後でした。

礼記という書に「君の薬を飲むは臣先ずなむ.

親の薬を飲むは子先ずなむ」とあるように,
中国の長幼の順に従ったものです.

 

屠蘇は中国から伝わり嵯峨天皇の時代に行事として

行われた。

薬子「くすこ」と呼ばれた童女が毒見をしてから天皇に

献上された

江戸時代になると幕府から民間にと伝わり、薬屋が

歳末の景品に屠蘇散を配るのは、江戸時代、医師が

薬代の釣りに屠蘇散を渡した名残である

絵の主人の左に有る三方は蓬莱です

江戸では蓬莱とは言わずに食積といいました

しかし、嘉永年間になると蓬莱と呼び、江戸も京阪も同じでした

蓬莱の前に有るのは組重といい、普通は絵のように三重ではなく

4重の重箱である。

 

「年中故事」によると、4重は四季を司る故に、

煮物も四季におうず。

この煮物が「お節」である。