息子と京都に行った時に。

ふと入った寺院のお庭に観音様の像があり、その周りには 沢山の子供の小さな靴やおもちゃが並んでいた。幼くして 我が子を亡くしてしまった 母親の嘆きや悲しみが そこにはあった。

私には、2人の子供の笑顔がある。
今ここで、抱きしめる事が出来る。
一緒に笑いあう事が出来る。
私は これ以上、何を求めるというのか。

学校にきちんと行くいい子。
勉強のよく出来る子。
いい大学に 入り 
いい就職につく。

そんなものばかりを  子供の幸せと称して
押し付けてきてしまったのではないか。


それは 本当に 息子が望んできた事なのであろうか。


「ママ、僕はもう 
    貴方が望むような いい子ではない。
    学校にもいかないし
    勉強もしない
    1日中 ゲームと寝てるだけだよ。
    
    こんな 僕でも まだ貴方は
    愛してくれますか?」


全身全霊で私を 確かめるかのごとく。
何度も 何度も 私の期待を裏切っていく。

4年生の男の子が1人ぼっちで待つ1日 1日は、
どんなに寂しくて 孤独なものであろうか。


「ママ、死なないでね。
    私のママでしょう。」

絶望した私を見て 幼い娘は言った。
身も心も限界だった。
私の瞳から 完全に 光が消えていった。



悲しみの果て 宮本浩次




その後も息子は旅行に行ったからといって、私が期待する様には学校に行けなかった。

私達の悲しみのはてに
希望は あるのだろうか。

つづく