⭐二十四節気【冬至(とうじ)】
 2022-12/22~2023-1/5
 師走も半ばを過ぎて、一年で最も日が短い
「冬至」を迎える。世界各国🌐では太陽🌄が生まれ変わる日と考え、「陰」の気が極まり、再び「陽」に転じる『一陽来復』の日とする。この日から少しずつ日脚が伸びて来るとはいえ自然界ではまだ停滞期が続く。しかし世の中は、クリスマス⛄🎄✨や正月🎍🥡など行事が立て込み、一年で最も慌ただしい。因みに「師走」の「師」はお坊さんの事でござんす。
 冬至といえば、カボチャ🎃とゆず湯🍊♨️。 ビタミンAやカロテンが豊富なカボチャは、冬風邪や脳血管疾患(中風)の予防に効果的。ゆず湯も血行を促進し、体を温める効果がある。
 カボチャも柚子も黄色い☝️黄色は古来から
「魔除け」の色なのだ。例えがチョロっと古いけど、日本🇯🇵で大流行した香港映画🎥の大ヒット作品『霊幻道士』に出てきたキョンシー☝️😉
 このキョンシーを止める護符は黄色でしょ😉
そして霊幻道士も、テンテンが出てくる
『幽幻道士』も道士の衣服は黄色でしょ💛

ネッ!☺️
 黄色は魔除けの色なんですよ。そして冬至には、名前に「ん」が入っているものを食べると「ん」が付く(運がつく)とされた。カボチャの別名は南瓜(ナンキン)。他にもニンジン🥕レンコンにキンカン、ギンナンなど、ふたつ重なっているとさらに運気が上がるといわれたワケなんだな。
 昭和の東京には、冬至の日にゆず湯に入る習慣が残っていた。昭和期の東京人は、体の芯まで温まるとか、しもやけやあかぎれに効くとかで、柚の実を刻んで沸かした♨️をありがたかった。
 このように、ゆず湯は、現代人にも広く知られている冬至の行事だけど、実は『冬至祭』の行事はゆず湯だけじゃないんだよね。
 現代でも、冬至祭があちこちの⛩️神社で行われていることをご存知であろうか? 
 最も有名なのが西早稲田の三ヶ所の寺社で行われる『冬至祭』☝️
 穴八幡宮、放生寺(旧穴八幡別当寺)、高田水稲荷神社。なかでも穴八幡の冬至祭は頗る盛況で、その参詣者は、全国各地から毎年五万人に達するという。


 参詣者のお目当ては、件の三寺社から授けられる守り札だ。その守り札には『一陽来復』の文字が刷られ(放生寺は「一陽来福」)、札の包みの中には金柑と銀杏の実が入っている。
 👀⁉️どういうこと...事情を知らない人はこう思う☝️☺️。
 その秘密は穴八幡境内の露店で売られる柚子によって解かれる。かって穴八幡の冬至祭の名物となっていた柚子🍊の売店は、現在でも数軒ほど見ることができるが、その謎の答えは☝️
 金柑+銀杏+柚子で「金銀融通」─😄 
他愛のない語呂合わせには違いないが、縁起かつぎといものは、もともとそういうものだ。昔の人は、その縁起のいいシャレ(江戸時代は「地口」👈これが「ことば遊び」から👉落語に発展)をありがたがり、三つの寺社のどれかで授かった守り札を恵方に向けて貼って、金銀豊富、商売繁盛、開運招福を祈願したわけだ。
 そうした三寺社の冬至祭は、明治期から始められた行事とされており、江戸時代にどのような行事が行われていたかはわからないが、「鎌」の絵+◯+ひらがなの「な」を描いた浴衣を着て、「かまわぬ」(歌舞伎役者:市川團十郎の決まり文句)とシャレてみせた江戸っ子のことだから、それ式のシャレは朝飯前で効かせていたかもしれない。
 穴八幡宮には、新宿区指定無形民俗文化財の
「高田馬場の流鏑馬」があるが、これは八代将軍徳川吉宗が世継(家重)の疱瘡平兪祈願に奉納したのが始まりである。

⭐七十二候
【乃東生(なつかれくさしょうず)】12/22~26
 「乃東」はウツボグサの異名。これは夏至の「乃東枯」と対置の関係。あらゆる草木が枯れ果てるこの時期に、ウツボグサだけが芽🌱を吹き吹きはじめる。その様子は夏から冬にかけて力を弱めた太陽が、冬至の日を起点にふたたび力を取り戻していく姿に通じるようだ。

【麋角解(さわしかのつのおつる)】12/27~31
 シカ🦌がその頭に掲げる角を落とす頃の意。とはいえ、日本のシカは春に落とすのが一般的。
「麋」は大陸に住むヘラジカのことだといわれている。脱落した角が、春になるとまた生え変わるさまが、一陽来復の再生の様子に通じると考えられたのかもしれない。

【雪下出麦(ゆきわたりてむぎのびる)】
1/1~1/5
 この頃、降り積もった雪の下からムギが🌱芽を出す。ムギは秋に種蒔きをし、翌年の初夏に収穫を行う。年をまたいで成長することから「年越草」の異名も。ムギの芽を足で踏みつける「麦踏み」は、霜を防ぎ根張りをよくし、ムギの余分な成長を抑える効果がある日本独特の風習である。

各務支考📖「文星観」
 待たらんに行ばや我も冬至の日 

与謝蕪村📖「落日庵句集」
 貧乏な儒者訪ひ来る冬至かな

小林一茶📖「七番日記」
 日本(ひのもと)の冬至も梅の咲きにけり

百人一首(二十八番)/古今集 冬・三一五
 源宗宇(みなもとのむねゆき)朝臣
 「山里は 冬ぞ寂しさ まかりける 
 人目も草も かれぬと思へば」

👤源宗宇朝臣
 光孝天皇の皇孫是忠親王の王子で臣籍降下して源姓を賜る。丹波(京都府の一部)、摂津(大阪府の一部)、信濃(長野県)の権守(ごんのかみ=国司)を歴任した三十六歌仙の一人。

...それにしても、午後4時半頃にはもう真っ暗になっちまうもんなぁ~💦 仕事の時は朝6時頃には起きるけど、やっぱり真っ暗なのよキョロキョロ