ところが、これとは反対に、肉的な無知は、だれでも認識し得る結果の世界、すなわち、自然界(肉界)に関することを科学的に探究することによって啓発されてきたのであった。
 しかも、科学は、現実を打開するものであるために、だれにも必要不可欠なものである。
 それゆえに、肉的無知に対する啓発は、急進的であり、かつ、普遍的である。
 このように、探求していく対象が、宗教においては目に見えない原因の世界であるので、超現実的なものであるのに反し、科学においては目に見える結果の世界、すなわち、物質世界であり、これは現実的なものであるがゆえに、今まで、宗教と科学は、理論的に妥協することのできないものとして、衝突を免れ得なかった
 そればかりでなく、被造世界の主権を握っているサタンが、現実生活を通して、人間に侵入してくる関係上、今までの宗教の道は、現実を見捨てなくては行かれない道であると見なされてきたので、現実を追求する科学と、互いに調和をなすことができなかったのは当然なことといえる。
 次の章の第一節で詳しく論ずるが、神は元来、人間の外的な肉身を先に創造され、その次に、内的な霊人体を創造されたので(創二・7)、再創造の原則によって、復帰摂理も、外的なものから内的なものへと復帰していく過程を踏むようになるのである。
 このような摂理的な原則から見ても、科学と宗教とは互いに調和することのできない発展過程を事実上歩んできたのである。

     (原理講論 摂理的同時性から見た復帰摂理時代と復帰摂理延長時代 P494より)


【千流的まとめ】
 現実を 打開するため 科学あり

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