孤独死には、色々なケースがあり一様ではありませんが、(前出の)塩田さんがいまでも印象に強く残ると話すのは、「2階建て一軒家で独居していた70才前後の女性の散り際」です。
「室内に家具は一切なく、ベッドもなく台所に寝袋とわずかなゴミだけが残されて、何とも不思議な感じがしました。亡くなっていたのは玄関の入り口あたりで、小柄なかただったので遺体はそれほど傷んでいませんでした。おそらく自分の死期を悟って、家具などをすべて断捨離したのでしょう」と・・・。

この女性のように、準備をしたうえで「きれいな孤独死」を迎える人も近年、少なくないといいます。その証拠に、身寄りがなくある程度のお金を持った人から同社に舞い込む、「孤独死しても大丈夫な部屋を作ってほしい」という依頼が増加しているというのです。

「リフォームまでしなくとも、ご自身で布団の下などにシートを敷かれている方もいます。やはり、孤独死してから時間が経過すると血液や体液が遺体から排出されて、床を侵食して1階下の天井にじわじわと漏れ出ることがあるので、そうした事態を防ぐために、あらかじめ布団やじゅうたんの下にブルーシートや塩化ビニールのシートを敷きつめるリフォームの相談は多いです。

そうした方たちの目的は「経済的損失を避けること。」ですから、遺言書も用意していて“亡くなったらこの家をお金にして市に寄付する”と残していたりします。見事な孤独死といえるかもしれません」と語ります。
この様に、準備万端整えてこの世界を去る方達もおられると言うことを覚えておいて欲しいと思います。

記事の最後に、実際に私の実母が孤独死しましたので、その時の話を書きます。

私と実母とは、小学校低学年の時に「両親の離婚により」生き別れとなりました。実母は、自分の子ども達を連れて行きたかったようですが、それまで一生懸命子育てしてきた祖母(養母)が、「子供を連れて行くなら、自分はここで死ぬ」と言ったとかで、(実母は)どうにもならないと観念して「置いて行った」と、誰かに聞いた事があります。

養父母は働き者で、私たち兄弟を一生懸命育ててくれました。経済的に、何不自由なく育つことが出来たのは彼らの努力の「おかげ」でした。
その局面で、実母についていったなら果たして「どの様な人生が待っていたのか」、それを考えると冷や汗が出て来ます。(悲惨な人生が、待っていたかも知れません。)

実母とは、35歳位の時に一度だけ会ったことがあります。それは、弟が結婚するということで呼んだということでした。
殆ど話をしなかったので分かりませんが、彼女は独身で札幌方面のある地方に住んでいるということだけ聞いた記憶があります。

実親と言っても、ほとんど面識もなく他人と同じすから、こちらにすれば「余計な問題に首を突っ込みたくない」という感情を持ったことは間違いありません。
昔からの諺にあるように、「生みの親より育ての親」という言葉は、間違いなく真実なのです。
(つづく)