金子みすゞ記念館に行ってきました。
以前にも行ったことはありましたが、今回はブログネタとしての写真を撮る気満々で。(笑)
でも~、撮影NGだったんです~💦
そうかぁ~、そうだよねぇ~💧
これまでは、記念館とか重伝建とか見ても敢えて写真を撮ろうと思ったりはしなかったので無頓着でしたが、室内撮影NGのところもあるんですよね。
しゅん😢。
でも、一部撮影OKの部屋や許可して頂いたオブジェもあったので、そんなところを中心に紹介させて頂きますね。
金子みすゞは、大正末期から昭和初期にかけて雑誌「童話」等に抒情的な童謡を多数発表し、西条八十からも称賛を受けるほどの才能豊かな童謡詩人でした。
しかしながら、26才での不幸な自死の後、軍国主義へと向かっていく時代の変化もあり、長く忘れられた存在となっていました。
そんな長い忘却の時を経た後、矢崎節夫氏による奇跡的な発掘と熱意ある働きかけがやがて1984年の全集出版に結びつき、それをきっかけに彼女の優れた作品群が広く知られるようになったという訳です。
その後、彼女の短くも鮮烈な生涯が小林綾子や松たか子等の主演によるテレビドラマとして描かれたことも話題を呼び、その優しい眼差しの作品世界が多くの人々の支持を得るようになったことは、皆さんもご存知の通りです。
まさに、「金子みすゞルネッサンス」とも言うべき一連の出来事でした。
こだまでしょうか、
いいえ 誰でも。
2011年の震災直後にACジャパンのCMとして流されたこの言葉が多くの人たちの傷ついた心を癒したことも、記憶に新しいところです。
このことはまさに、弱い者や「見えない存在」に対して優しく寄り添うみすゞの言葉の持つ「力」が証明されたこととも言えるでしょう。
今では、小学生の国語の教科書のほとんどに彼女の作品が採用されているようです。
そんな金子みすゞの記念館は、2003年にみすゞの生まれた家の跡地にオープンしました。
通りに面したこの家が、みすゞが幼少期から少女時代を過ごした家になります。
本屋さんでした。
ただし、この建物は後に復元されたものです。
お店だった内部の土間には書架が据えられ、少し昔の本が並べられていました。
土間の奥が帳場になってます。
帳場の奥の和室です。
奥の土間から見た和室の様子。
台所も。
お風呂も。
いわゆる五右衛門風呂ですね。
経験ある人、手を上げて~!
は~い♪
厚めの板をお風呂の中に入れて
その上に片足置いて
バランス取りながら入るんです。
へぇ~、知らなかったぁ~!
私若いから。(嘘ばっかり💦)
2階に上がると、みすゞの部屋になってます。
陽が差して、ちょっといい雰囲気でした。
横からみると、こうなってます。
当時の女学生の部屋っぽいですね。
ところでこれ、記念館に飾られてあるんですが、何でできてると思います?
思いっきりアップにして、よ~く見て頂くと・・。
少し画面がザラザラして見えませんか?
実はこれ、12万枚(!)の顔写真から作られたモザイク画なんだそうです。
すご~い👀!
ここからは、みすゞの詩を幾つかご紹介。
最も人口に膾炙したものと言えば、やはりこれでしょうか。(一部抜粋)
飛べる小鳥は私のように
地面(じべた)を速くは走れない
あの鳴る鈴は私のように
たくさんな唄は知らないよ
鈴と、 小鳥と、 それから私、
みんなちがって、 みんないい。
80年以上も前の歌ですが、SMAPの「世界に一つだけの花」にも通ずるものがあるような気もします。
以下は街角で見たものを。
これは、公民館前で。
この歌はご存知の方も多いと思います。
「見えない世界」が「見える」みすゞの優しい「幻視」を感じさせますね。
矢崎節夫氏がみすゞを知るきっかけとなった歌としても知られています。
こちらは、あるお店の前で。
ファンタスティックな世界です。
これも街角で。
みすゞの詩を、地元の小学生が絵馬に作ったもののようです。
ここからは、記念館で見たものを。
これは、ステンドグラスです。
(特別に許可を頂いて撮影してます。)
「小さな世界から大きな世界へ」と、
みすゞの視点はどこまでも自由!
神は細部に宿る・・?
以下の4つは、木のオブジェに書かれていました。
どれも、瑞々しい感性と生き生きした眼差しが感じられるものばかりです。
尚、この4つは元々、縦横20cm程度の正方形の形をしたものでした。
こんな感じです。
ところで、「燕の母さん」つながりというのでもありませんが、記念館から表通りに抜ける通路上部のあちこちに、たくさんのツバメの巣が作られていました。
見えますか?
最近はツバメを見る機会も随分少なくなりました。
数羽のツバメがとても元気に飛び回ってて、その姿も撮れればよかったんですが、とてもとても💦
でも、元気なツバメが見られてなんだか得した気分でした♪
さて、金子みすゞ記念館をあとにして、次に私が向かったのは。
記念館のある場所からは橋で結ばれた島。
その島の突端にある集落の高台に作られた鯨墓です。
鯨墓の説明です。
みすゞが育った北浦近辺は、江戸時代から捕鯨の盛んな地域でした。
「鯨一頭七浦潤う」と言われた時代、特にこの集落は捕鯨で人々の暮らしが成り立っていたこともあり、そんなことから鯨への感謝と慰霊の思いを込めて、鯨資料館や鯨墓があるという訳です。
鯨墓の近くに咲いてた花。
鯨唄とかもあったようです。
鯨唄の説明です。
これは、資料館周辺の鯨のオブジェ。
これも。
マンホールの蓋もやっぱり鯨!
集落高台の路地からの眺めです。
ちょっと尾道を連想させますね。
港周辺の風景です。
ん?ちょっと鯨に似てる?(笑)
集落をあとにしてその後私が寄ったところは、記念館のある地区とは瀬戸を挟んだ港近くにある、元は小学校だった古い木造校舎です。
少しわかりづらいかもしれませんが、正面玄関上部にツタがからんでます。
既に廃校となっていますが、今では地域の皆さんの交流の場所として生まれ変わっています。
中に入ると。
あ~、私の通った小学校もこんな廊下でした!
長~い!!
民俗資料館のような部屋もありました。
捕鯨関係のものも。
鯨の・・骨ですね。
なぜかお雛様も。
そんなノスタルジックな小学校をあとにして。
中央に青く横たわって見えるのは、先ほどの小学校があった島に架かる橋です。
以前は有料で、確か400円くらいだったかと記憶していますが、今は無料になっています。
橋のたもとから。
最後の1枚は、お約束(?)の、この時期だけのカリフラワーとブロッコリーで♪
緑の中の往復150キロ。
なかなか充実したドライブでした!
今回も、ここまで長々とご覧頂き、ありがとうございました。