手術を終え、管だらけでベッドに横たわる私には、当然当日一切の飲食は禁止されていました。

ということは、毎日必須の精神安定剤も、睡眠剤も飲めないということ。

持参した薬は皆病院側が管理してて、朝昼晩、お薬手帳にあるだけの量を渡してくれることになってるはず。なのにこの一番つらい夜、一粒の薬も飲めない。ただでさえ眠れやしないのに、この異様な状況で眠れるわけがない。

元々メンタル病みでいまも薬が欠かせない私は、動けないベッドの上で、どんどん精神的に追い詰められていきました。

血圧が上がって、頭の中がわんわん言ってるのがわかる。鼓動が異常に速い。酸素マスクをかぶせられてるのに、息が苦しい。

腕の血圧測定器は、一時間ごとにめりめりと自動的に腕を締め付けて血圧を測定する。指先に繋がれた血中酸素濃度測定器は、濃度が下がるとピーピーピーピーと耳障りな音を立て、さりとて何かしに看護師が駆けつけるでもない。夜中の一時過ぎに看護師が部屋に入ってきて、「点滴取り替えます。お名前と生年月日をおっしゃってください」

今一時だよ? それに、ただでさえ熱が高くて頭がぼうっとしてるので、西暦で言おうとしてもうまく出て来ない。

「ええと、ええと、1985、1958、あれ?」

「昭和、でいいです」

「昭和33年の……」

このめりめりめりもピーピーピーも朝まで続くのか。つまり一睡もするなというのだな。

 

わたしの持病は、閉所恐怖症と、先端恐怖と、パニック発作と、それに伴う鬱です。

お医者はわたしの体から腫瘍を綺麗に切り取ってくれたけれど、そして看護師さんはてきぱきと親切に私の体を診てくれるけれど、手術さえ終わればおさまると思った胸のもやもやと恐怖は、その眠れない一晩で怪獣レベルに育ってしまいました。

 

そして、今まで最低限の薬さえあれば平穏に暮らしていた私は、化け物がごろんと蓋を開ける音を聞いたのです。

 

「よっ、お久し振り。俺らのこと忘れてた?どっかに消し飛んだと思ってた?

どっこい、ここに隠れてただけだよ。あんたが育ててくれたおかげで、蓋を外して出て来れた。これからちっとの間、よろしくな」

 

来るなー!!!ガーンムキーパンチ!

 

狭い、怖い、ここから出たい、自由になりたい、体に刺さってるすべての管が苦痛だ、身の置き所がない、眠れない、ざわざわドキドキして居ても立っても居られない。

これはパニックだ、というよりプチパニックだ。もう二十年も起こしていなかったのに、今抑え込んできたいろんな不安症が、目を覚まして動けない私を襲おうとしてる。

 

まんじりともせず迎えた次の日。私はこの「不安と恐怖」の正体が、それこそ幼児期から抱えていた心の病の再発と確信し、暗澹としたのでした。

 

どう戦おう。もう腫瘍なんて問題じゃない。膨れ上がっていくこの不安という化け物と、どう戦おう。

そして、幼児期からこの年になるまで、ということはおそらく一生、自分はこの病んだメンタルを抱えていかねばならないのだという事実に、ますます落ち込んでいく一方でした。

そして手術の翌日、まだ熱がある私は、医師からの「歩行訓練は明日から開始ね」

という言葉通り、翌日から看護師さんに支えられてよろよろと歩く訓練をさせられるのです。

たくさんの管と点滴胃袋をわさわさ点滴台からぶら下げながら。

 

あー、書いてるだけで不安発作がぶり返しそうになるわ。何でこんなの書き始めちゃったんだろう。

とりあえず日記代わりということで、自分のために書き残していきます。

今入院して右も左も向けないあなた、メンタル病みのあなた。

明けない夜はないですよ。

散々苦しんだ私が過去のこととしてこう書き記していられるんだから。

頑張ってください!

 

(これは入院した日に撮りました)