注* わんわすとはうち語で犬のことです。

この春からうちのすぐ裏のおうちに男子大学生さんがわんわす(ミニチュアダックス)を連れてお入りなさった。
すごくかわいいわんわすなんだけど、超ビビりで飼い主がいないと怯えまくり吠えまくるの。
でも学生さんなので当然昼間はいない、というか夜までいない。

その間
まんべんなく
ひゃんひゃんひゃんひゃん
ひゃんひゃんひゃんひゃんわんわん

十時間以上続くことも波

あれだけ吠えたら呼吸困難にならないか?
というか気が変になるのではないか?
というぐらい、吠えると言うよりもう、悲鳴。
お昼寝タイムぐらいないのかと思うけど、まんべんなく吠えてるんで寝るどころでもないらしいです。
息をする代りに泣いてるあかんぼ状態みたい。
(生後半年ぐらいうちの娘もこうだった!)
夜、飼い主が帰ってくると大人しくなるから、朝まではまあ静かなんだけど
翌日また一日号泣。
犬の精神的に、あれは大丈夫なのかと。

思えば猫って手がかからないのですよね……
ペットシッターさんにお世話をお願いして旅行行ったりするんだけど
ご飯食べて、目の前てウンチして、おもちゃを出せばじゃれて
飽きたらソファで寝てます。というおはなし。
こんな報告書を置いてってくれます。

水☆迷☆宮

猫と違い、犬は群れで生きる動物だから
一人ぼっちは耐えがたいんでしょね。
時々近所の公園にお出かけしてるときは嬉しそう。

しかし、まんべんなく鳴き声が聞こえてるときはまあ騒音なんだけど
全く聞こえない日には、生きてんの?大丈夫なの?とかえって気になったりして。
ひゃんひゃんが始まると、お、生きてる、と一応安心……

お散歩権くんないかなしっぽフリフリ

で……

鳴き声聞いてて思い出したのが
十年以上前の北海道旅行で見た、キタキツネの子です。
とあるカフェの前に、客寄せのように狭いカゴにいれられておりました。
まだほんの子供で、ほっそりした体にふっさりした尻尾。
透き通った茶色の瞳は、なんというか、それこそ野生の生き物の目でした。
犬よりも狼に近いと思う。
近くで気を引いても名前を呼んでも(一応名はついてた)
全くこちらを見ないで、視線は静かに地平線の彼方をひたと見つめて動かず。
(富良野の見通しのよい場所の店だった)
ああ、野生の子なのに。これは人のそばにいるようにできてないのに、出してやれないもんかと切なくなったものです。

キタキツネのドキュメンタリー映像の記憶だと思うのですが、
キタキツネの母は、ある一定の年齢までは子供をとても大事にするけど
それをすぎると、いきなり追い出しにかかるんですね。
一人前の体格になり、狩りもひととおり教えた、ある年のある季節。
それまでやさしかった母さん狐が、突然子どもに冷たくなる。
そばに来ると怒る、噛み付く、追い散らす。
子どもは訳が分からずお母さんを追います。
まるで何かの間違いだ、たまたまお母さんの機嫌が悪いだけだ、というふうに。
時間をおいては母さん狐に近寄って甘え声を出すけれど、お母さんはもう前のお母さんじゃない。
怒り声を出し、噛み付き脅し、おいかけてまであっちへ行けと激怒。とにかく容赦なし。
とうとう子狐は、キャンキャーンと悲しい鳴き声を出しながら、文字通り泣きながら、草原のかなたに走ってゆくのでした。
あの子の気持ちを思うと切なかったなあ。訳が分からないもんね。
それを見送る母さん狐。野生の親離れの儀式です。
子育ての目的は、一生家族仲良く暮らすことじゃなくて
一人でも生きていける個体にする。ということなんですね。



……最近、二十歳を過ぎた娘が家で一緒にいることに何か抵抗があり
時々すごく冷たいこといっちゃうのはこれかなあ。
まだ学生なのに、とにかく社会人になったらこの家でて行け
一人で生きて自分の巣を作れ
二十歳すぎたらほぼ他人だから。と、意地悪な言い草をくり返してる自分。
愛情が変化したんじゃなくて
とにかく、子供は育ったら親から完全に分離しろよ。ここはあんたの巣じゃない。
という思いが、まるでキタキツネの母のようにふつふつ湧いてきて
自分でもどうしようもない。

娘とは相性はすごくいいと思うし、仲良し親子の部類だと思うんだけど
この「巣立て!」って衝動、人間としては冷たいのかなあ……

その点玉木君は見事だわ。
自分から巣立ち、甘えを自分に許さず、地道に真面目にコツコツ働いて
ひとつずつ階段上がって、あそこまで来てるんだもん。

イケメン芸能人としてじゃなくても
ああいうふうに育ち巣立って欲しいという理想の姿ですね。
(最終的に広い家に母親を呼んでともに暮らす。家事バンタン別々、というゴールは出来すぎだからそこまでは望みませんとも!)