Jack the Ripper -1-
1888年11月9日
切り裂きジャックが娼婦のメアリー・ジェイン・ケリーを殺害。確実に切り裂きジャックの犯行とされる最後の事件。

(この記事①②③には暴力的または猟奇的な記述・表現が含まれています。)
【切り裂きジャック】
1888年にイギリスで発生した連続殺人事件の犯人の名前
切り裂きジャック
Jack the Ripper、ジャック・ザ・リッパー
1888年にイギリスで連続発生した猟奇殺人事件および犯人の通称。世界的に有名な未解決事件であり、現在でも犯人の正体についてはいくつもの説が唱えられている。
本名:不明
別名:ジャック・ザ・リッパー
ホワイトチャペル・マーダー
殺人詳細
犠牲者数:娼婦5人+?
犯行期間:1888年8月31日から11月9日?
国:イギリス
《概説》
切り裂きジャックは、1888年8月31日から11月9日の約2ヶ月間にロンドンのイーストエンド・オブ・ロンドン、ホワイトチャペルで少なくとも娼婦5人をバラバラに切り裂き、殺人を実行したが逮捕には至らなかった。署名入りの犯行予告を新聞社に送りつけるなど、劇場型犯罪の元祖とされる。当時の定義づけによる精神病患者から王室関係者まで、その正体については現在まで繰り返し論議がなされているが、1世紀以上経った現在も犯人は不明である。
切り裂きジャックは娼婦を殺人の対象に選んだ。犯行は常に公共の場もしくはそれに近い場所で行われ、被害者はメスのような鋭利な刃物で喉を掻き切られ、その後、特定の臓器を摘出されるなどした。そのような事実から解剖学的知識があるとされ、ジャックの職業は医師だという説が有力視されている。しかし近年、最新のプロファイリングにより肉屋であるという説も有力とされた。
このような事件が起きていた間にも、被害者の女性たちが警戒心もなく犯人を迎え入れていた形跡があることから、実は女性による犯行とする説もあった。また、犯行は1年以上続いたなど、様々な異説がある。
「ジャック」とはこの場合特定の人物の名前を示すわけではなく、日本でいう「名無しの権兵衛」のように英語圏で呼び方の定まっていない男性を指す名前である。
《被害者》
一連の事件における被害者の数については、現在でもさまざまな説が唱えられているが、以下の5名は切り裂きジャックによる犯行と確実視されている。
1888年8月31日(金) - メアリー・アン・ニコルズ(42歳)
1888年9月8日(土) - アニー・チャップマン(47歳)子宮と膀胱を犯人により持ち去られる。
1888年9月30日(日) - エリザベス・ストライド(44歳)犯人が目撃された唯一の事件。
1888年9月30日(日) - キャサリン・エドウズ(43歳)左の腎臓と子宮を犯人に持ち去られる。
1888年11月9日(金) - メアリー・ジェーン・ケリー(25歳)皮膚や内臓を含めほぼ完全にバラバラという最も残忍な殺され方をした。
犯行は夜、人目につかない隔離されたような場所で行われ、週末・月末・もしくはそのすぐ後に実行されている点が共通しているが、相違点もある。キャサリン・エドウズはただ一人、シティ・オブ・ロンドンで殺害された。メアリー・アン・ニコルズはただ一人、開けた通りで発見された。アーニー・チャップマンは他の被害者とは違い、夜明け後に殺害されたと見られている。
《被害者(推定)》
先述の5名以外にも、切り裂きジャックによる被害者と推測されている人物は、以下の通りである。
フェアリー・フェイ
1887年12月26日、杭で腹部を串刺しにされて殺害された。犯行手口が異なる。
アニー・ミルウッド
1888年2月25日、下腹部と足を何度も刺され、一命は取り留めたものの、同年3月に退院後死亡した。
エイダ・ウィルソン
1888年3月28日、首を2度刺されるが一命を取り留めた。
エマ・エリザベス・スミス
1888年4月3日、局部に鈍器を入れられて重傷を負うが、家まで歩いて帰った。警察には2・3人のギャングに襲われたと話したという。2日後に病院で死亡。
マーサ・タブラム
1888年8月7日、全身を39箇所も刺されて殺害された。動機の欠如、犯行の残忍さ、地理的・時期的な点から見ても、切り裂きジャックの被害者である可能性が高いと見られている。ただし、喉を掻き切るのではなく刺されている点で他の被害者と異なる。
"ホワイトホール・ミステリー"
1888年10月2日、頭部のない女性の胴体がホワイトホールで発見された。片方の腕はピムリコの近くのテムズ川から発見された。片方の足は遺体発見現場の付近に埋められていたが、他の部分は発見されなかった。
アニー・ファーマー
1888年11月21日、首を切られるも、傷は深くなく命に別状はなかった。警察は自傷行為を疑い、捜査は中断された。
ローズ・ミレット
1888年12月22日、首に絞められた跡があり窒息死であった。彼女が酔って人事不省の時に、自分のドレスの襟で誤って窒息したのではないかという説もある。
エリザベス・ジャクソン
1889年5月31日から同年6月25日までの間に、遺体の各部がテムズ川で見つかった。
アリス・マッケンジー
1889年7月17日、頚動脈を切断されて殺害された。
"ピンチン通りの殺人"
1889年9月10日、身元不明の女性遺体(胴体)が発見され、リディア・ハートという娼婦ではないかと見られている。"ホワイトホール・ミステリー"との連続殺人とみなされ、犯人には"トルソ・キラー"や"トルソ・マーダー"というニックネームが付けられた。切り裂きジャックが"トルソ・キラー"なのか、他の人物なのかは分かっていない。前述のエリザベス・ジャクソンも"トルソ・キラー"の被害者ではないかという説がある。
フランシス・コールズ
1891年1月31日、喉を掻き切られて殺害された。
キャリー・ブラウン
1891年4月24日、殺害現場がニューヨークのマンハッタンである。絞殺したのち、ナイフで遺体を切断するという犯行手口。鼠径部に大きな傷があり、足や背中も刺されていたことが判明している。ベッドの上に卵巣が発見されたものの、持ち去られた臓器はなかった。一連の事件と類似するケースであるが、ロンドン警察は「切り裂きジャックとは無関係」と結論づけた。
《壁の落書き?》
「ゴールストン・ストリートの落書き」
2件の殺人が犯された9月30日の早朝、アルフレッド・ロング巡査が犯行現場を捜索中、ゴールストン通りで血のついた布を発見した。後にこの布はキャサリン・エドウズのエプロンの一部ということが分かった。
その近くの壁には白いチョークで書かれた文書があった。その文書は「The Jews are the men That Will not be Blamed for nothing.」もしくは「The Jews are not The men That Will be Blamed for nothing.(ユダヤ人は理由もなく責められる人たちなのではない)」というものであった。
この文を見たトーマス・アーノルド警視は、夜が明けて人々がそれを目にすることを恐れた。彼はその文章が一般大衆の反ユダヤ主義的感情を煽るのではないかと思ったのである。事実、メアリ・アン・ニコルズの殺害以降、ユダヤ人の犯行ではないかという噂がイースト・エンドで流れていた。そのため、アーノルド警視はこの文書を消すように指示した。
この文章はスコットランドヤードの区域で見つかり、犯行場所はロンドン市警察の管轄内であったため、2つの異なった警察部隊に分かれることになった。特にロンドン市警察の警察官たちはアーノルドに反対であった。この文章は証拠の可能性があり、せめてその前に写真を撮るべきだと主張したがアーノルドは賛成せず、結局明け方に消されてしまう。
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