私は・・・ | ゆみちゃんの人生万事塞翁が馬

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ゆみちゃんの日々の生活の中から考えたことをまったりとお伝えします。

ブログ開設の前にエッセイコンクールに原稿を応募しました。昨年の秋のことです。
そのときの、原稿をここに掲載します。時間があったら読んでくださいね。

EFiL&EFiL.netエッセイ応募原稿「母へ」

もうすぐ母の一周忌が来る。昨年の八月二十四日、母は出血性胃潰瘍で緊急入院をした。検査の中で、膵臓がんが見つかり、帰宅することも無く二ヶ月余りで他界した。
 母は病院にいったその日の朝まで、朝食にみそ汁を作っていた。
 五十数年前嫁いできた母は、私と弟の母として、舅姑の嫁として、毎日みそ汁を作り続けてきた。
 二十五年前に祖母が他界して我が家は四人家族となった。私も弟も教職にはついたが、結婚をすることもなく居心地のいい我が家から出ないまま、両親と子ども二人という関係が変わることがなく続いていた。そう、四半世紀も・・・そして、母が急逝し、父と弟と私がのこった。
 十年前、私はマンションを購入し一人暮らしを始めた。管理職になり多忙であることを言い訳として、土曜日か日曜日のどちらかの夕食時に二三時間だけしか実家に帰っていなかった。この十年の間に、弟は頭痛のため仕事を休職そして退職をした。習字やカラオケ等多趣味だった父はアルツハイマー性の認知症にかかっていた。その中で、母は「お父さんより一日でも長生きをして看取ってやらないけん。百までわたしは生きる。」「息子が家におって,買い物やいろいろなところに連れて行ってくれる。いろいろ話しが出来る。幸せ。」と、毎日,朝にご飯とみそ汁を用意していた。
 そして今、母の代わりに実家で毎日父と弟のためにみそ汁を作っている。ストレスフルで体がぼろぼろだった私に「もう仕事を辞めて、母さんの代わりをしなさい」と天が命じたのだと思っている。
 母が亡くなった時よりも体重が十キロもふえた父が「母ちゃんのみそ汁よりもあんたのみそ汁の方がおいしいよ。それを母ちゃんがきいたら『なん言いよるんねえ。私がおしえたけよう』ち、ゆうやろうねえ。」と、同じ言葉を繰り返えしている。