皆、一生懸命に生きてる。
心遣いに感謝しながら
私も頑張らないと!!
そんなことを思いながら
何をしたらいいか分からない。
願いごとを紙に書くと
叶うといわれていて
脱ステで大変だったから
全然してなかったことを
思い出して何を書いてたか見ると。
最後に書いたのは
去年の1/15でした。
叶っていないことが多いのは
きっと潜在意識に
働きかけれていなかったり
遠回しな表現だったり
自分の能力を把握できてない。
そんなことが原因なのかな?
もっとシンプルな願いで
具体的に書き出してみようと
改めて思います。
ある人の言葉で
「日々の色んな出来事も…
こんな風に捉えたら
ポジティブかなとか
もしかしたら
笑顔に繋がるかな
なんて考えることができたらいいな。」
私も未来のために
捉え方や考え方が
変わりますように。
いつか小さな幸せにも
たくさん気付いていきたいな。
なんとなくでもやっていって
たくさんの幸せを感じる1年にしたい 。
笑顔多めにしていけますように。
以外参照
人はみな、“傷”を持って生まれてきます。
そして多くの場合、同じ傷を持っている親の元に生まれます。
なぜかというと、それは自分の傷に気づくためなんです。
自分が暴力をふるっちゃうような人は、暴力をふるう親の元に生まれます。
それで、「これは自分にそういうところがあるからだ」と思えばその傷も治るんだけど
「暴力をふるう親が悪い」って言ってると、それは治りません。
そしてそういう人は、自分が親になったときに同じことをやるんです。
自分の顔にシミがついてるからって、鏡を拭いてもシミは取れません。
鏡を替えても取れないんです。
だから、部長がイヤだからといって会社を辞めても、また次の会社で似たような人が現れるからね。
でも鏡を見て、自分の顔の“よごれ”に気づいて取れば綺麗になるように
自分の中にある傷に気づいて治せば、起こる現象も変わってきます。
部長の対応が変わるとか、相手が転勤していなくなるとか、自分が昇進して異動するというようなことが起こるんです。
鏡には自分のそのままの姿が映ります。
それと同じで、自分に起こっている出来事は、自分の傷が投影されたものなんです。
だから起こった出来事を他人のせいにばかりしていると、いつまでたってもうまくいかないんだよね。
斎藤一人 著
『大丈夫だよ、すべてはうまくいっているからね』より
この世で一番不幸なことは、自分のことを「大丈夫だ」と思えないことです。
そしてさらに不幸なのは、まわりにその人のことを「大丈夫だよ」と言ってあげられる人がいないことなんです。
人間はもともと等しく「大丈夫」なようにつくられています。
学校の成績が悪い人でも、運動会でビリの人でも、そのままでしあわせになれるように神様がつくってくれているんです。
それを「算数ができなきゃダメだ」とか「運動神経が鈍い」とかまわりに言われているうちに、自分のことが「大丈夫だ」と思えなくされたんだよね。
それと「自分はまだまだ未熟ですよ」と思って生きるのを“謙虚”だと思ってるかもしれないけど、「自信満々に生きてる人が威張らない」のが“謙虚”なの。
「自信がない人が威張らない」のは“卑屈”なんです。
謙虚に生きる人と、卑屈に生きる人とでは、自ずと結果は違ってきます。
それと同じで、「大丈夫だ」と思って生きている人と、「大丈夫じゃない」と思って生きている人とでは、まったく人生が変わってくるんだよ。
それで自分で思ったにせよ、誰かに思わされたにせよ、「大丈夫じゃない」と思って損をするのは自分なんです。
蕎麦屋で「カツ丼、3つ」って言えば、カツ丼が3つ出てくるの。
「こんなに食べられません」って言っても、あなたが頼んだものだから、そのお代を払わされるのはあなたなんだよね。
それと同じで、天に向かって「大丈夫じゃない」って言ってると、「大丈夫じゃないこと」を引き寄せるんです。
だから、まずは自分が「大丈夫なんだ」ということを知ること。
そして、まわりの人にも「大丈夫だよ」って言ってあげられることが大事なんだよ。
生まれてきた子どもはみんな「大丈夫だ」と思って生まれてくるんです。
そして親も「生まれてきてくれただけでしあわせだ」って思ったんだよね。
それを「あれができなきゃダメ」とか「これができなきゃダメ」と言って育ててると、その子はだんだん、自分のことを、自分の人生を信じれなくなってしまいます。
だから、親が子どもに一番伝えなきゃいけないことは「おまえはそのままで大丈夫だよ」っていうことなんだよね。
斎藤一人 著
『大丈夫だよ、すべてはうまくいっているからね』より