サバイディーこんにちは

パクセーの岩井宙です。

今日は普段の活動以外のことについて書こうと思います。

あれはまだ僕がパクセーに赴任して1ヶ月くらいだったでしょうか。

同任地の先輩隊員からこんなことを言われました。


「俺が帰った後に日本語教室の先生引き継いでくんない?」


実はその先輩は普段の活動の他に夜日本語の授業を教えているそうです。

「毎日1時間。19:30-20:30なんだけど、暇な時見に来てよ」

と僕を誘ってくれました。

ただ最初の1ヶ月は、まだ任地にも慣れてないしラオス語も全然わかんないしいきなり研修あるしその準備でぶっちゃけ日本語教えるどころではないし、

と研修が終わるまではその先輩には悪いなあと思いながらも断っていました。

ただその先輩隊員は僕と年も同じで、土日も一緒にカフェに行って勉強するような仲だったので、

いつまでも断るわけにはいかず(笑)

ある時日本語の授業を見に行くことにしました。

そこは、坂雲寮という場所で、日本人が建てた(?)ホテルに併設して子どもたちの学生寮があるところでした。



日本のオーナーは現在いないそうで、その時は日本人はその先輩だけ。

その寮自体は日本のNGOが支援しているそうですが、今は日本語の先生がいないんだとか。

この坂雲寮というのは、成績優秀にも関わらず家庭の経済的事情などで学校(高等学校)に行けない子どもを、寮に住まわせる代わりに市内の高校に通わせることができるという寮でした。

なので、子どもたちはみんな高校生で、親元を離れて高校で勉強したいがためにこの寮に住み込んでいます。

そこで一応日本のNGOの支援なので日本語を教えているのだそう。

ただ日本語を教える先生がいない時期らしく、JOCVである先輩が今は先生をしているそう。

もちろんその先輩は日本語教育が本職でもなんでもなく、

JOCVなので謝金をもらうわけにはいかず、

ほんとにボランティアで日本語を教えているそうです。

平日毎日1時間。

ボランティアでラオスに訪れ、更にプラスで日本語の授業のボランティアをする。


かっこよすぎません?


しかもその先輩はこんな活動をしてるんだとか、全然言わないんですよね。

僕は承認欲求があるのでブログに書いちゃうんですが笑

そんな偉大な先輩隊員(こんだけ持ち上げたので帰国後は寿司を奢ってくれることを期待します)に日本語教室引きついでくれないか?と言われ、

正直日本語を教えるなんてまったく自信はなかったのですが、

先輩隊員の帰国後引き継ぐことにしました。

その時はほんと、子どもたちの未来のためとか、日本語を完璧に話せるように授業したいとか、全然高い目的も目標もなく、

ただ単に先輩にお願いされ、先輩が帰ったあと日本語を教える人がいなくなると子どもたちがかわいそうだから、

というなんとも低いモチベーションで引き受けました。

そりゃ日中普通に活動して、夜更にプラスでボランティアするなんて、

僕はそこまでできた人間ではありませんよ。

それに教育をするっていうことは、その子たちに関わるってことであり、つまり責任が生じるわけです。

もし日本語の授業中に子どもが倒れたりしたら?デングやマラリアの可能性が疑われたら?
この子たちが本気で日本に行きたいと言い出したら?


そんな覚悟もない状態で、俺は子どもたちを預かることはできないと思いました。


ただ、引き受けたモチベーションは低くても、

それ以上に、

勉強したくて親元を離れてまで寮に入っている子どもたちを、見捨てるようなことはできなかった。

幸い子どもたちが授業中に倒れることはなく(ただ授業外で熱が出たりして病院に連れて行ったことやお見舞いに行ったことは何度かあり)

なんとか日本語を教えることができています。

ただ授業の方はほんとに難しく、

最初の方は授業準備だけで2時間や3時間かけていました。

やるからにはいい授業を。

子どもたちにとっては、新任だろうがベテランだろうが先生は先生です。

適当な授業をやって後悔はしたくないし、何より子どもたちが日本語を学びたいという意欲があるのに、教師としてその意欲に応えないわけにはいきません。

大変な日々だったのですが、でも逆に日本語の授業で救われたこともあります。

それは僕の普段の活動が全然うまくいってなかったので、半分腐りかけて大学の方に行くのが嫌だなあと思う時がありました。

実際最初の半年は活動がまったくできず、焦りだけが増幅しモチベーションもとても低かったです。

でも夕方には日本語の授業がある。

日本語の授業はいい活動しようと、

日中腐りかけた気持ちを夕方に調整する。

そんな日々は普段の活動以外に熱中できる活動があってよかったなと思います。

そして何より、子どもたちの笑顔に救われました。

最初は低かったモチベーションも、知らず知らずのうちにこの子たちのために、この子たちの未来のために、

と思うようになってきました。

最初は1年生9人を教えていましたが、

それが新学年8人入り17人となり、

さらに新しい学年が9人入り、

今は26人になっています。

今は日本人のホテルのマネージャーとインターン生が2人いるので、なんとか日本語の授業も回せています。

ただ最初は誰も日本人がいない時期に17人となり、ほんとに日本語の授業をどう運営していこうか悩みました。

NGOの方から特にこうしてくださいという連絡もなく、ホテルの方からもとりあえず新1年生が入るということだけ伝えられ、

今思えばあの時期は活動よりも日本語の授業をどうしようって感じでした笑

まあ結局苦肉の策で2年生を俺が教え、新1年生には2年生が教えるっていう、複式学級的な方法を採用しました。

ほんとその時期の1年生(今の2年生)には申し訳ないことをしたなと、少し反省しています。


さてダラダラと長文を書いてしまいましたが、そろそろまとめたいと思います。

この1年半ちょっと

出張がない日は毎日日本語を教えてきました。

この夜の1時間(最近は2時間だったり3時間だったり)は、

僕にとってはかけがえのないもので、

日本語の難しさ

日本語の楽しさ

先生としてのやりがい

先生としての難しさ

教育とは

国際協力とは

支援とは

援助とは

夢とは

努力とは

運命とは


ほんとに色々なものを考えさせてくれる時間でした。

僕にとって人生で初めての生徒たちと言っても過言ではありません。

あと何回授業をすることができるんだろう。

あと何回言葉をかわせるのだろう。

もしかしたら帰国したら一生会えないかもしれない。

日本語も忘れちゃうかもしれない。


不意に悲しさが込み上げてきましたが、

最後までいい授業をして、

最後は思いっきり泣きたいと思います。


君たちの未来に幸あれ。


P.S.
みんなで写真をあまり撮ってないので、帰国するまでには写真撮りたいな。


まだ初期の頃


単語クロスワード


スタツアの受け入れも


去年の誕生日


ありがとう😊


いい笑顔


勉強中


発表会


レクリエーションとか


ケーキ作ったり


いい写真


出会いに感謝!!!