「リハビリは究極の修行~リハビリ回峰行からリハビリ籠山行」
リハビリ回峰行が昨日で終わった。旧鎌倉&北鎌倉エリアの、地図に乗ってる神社仏閣は全てまわった。
ものすごいリハビリになったとおもう。
海岸や、逗子マリーナもいいけど、回峰行は総合リハビリだ。バスに乗ったり、人ゴミがあったり、場所を確認して、時間的に体力的に大丈夫かとかそう言うこと考えたり・・・。社会復帰という意味でもものすごいリハビリだ。
リハビリと言うより『評価』だ。
(もちろんそれ自体がものすごいリハビリになったのは言うまでもない)
(『評価』・・・麻痺の回復度合いを点数で表す。テストみたいなもの。客観的な基準。)
医学的にOT、PT、STとそれぞれに項目はあるけど、社会復帰適応という項目、実践での評価はない。
自動車教習所で例えると・・・リハビリ施設が教習所内。リハビリ回峰行が路上教習みたいな。(OTは少ないけど)
OT、PT、STという枠を超えて、社会復帰ということで考えると、
今の自分に何ができて、何ができないのか、どういう障害が残っているのか・・・
がわかる。
この回峰行をやってみて思ったことは
失った上肢、下肢の機能回復はもちろんだけれど、それ以上に大事な事があるのを再認識した。
それは以前にも書いたと思ったけど、自分の人生のQOLだ。この先どういう人生を歩んでいきたいのか。これに尽きる。
上肢、下肢の機能が回復すればとか、お金があればとかそう言うことではなく、もっと根源的なこと・・・
『自分がどうありたいのか。』
そういうことにもっと向き合わなければいけないかなと思った。
現実として今自分は走ることができない。電車のホーム階段を一段一足で上り下りできない。茶碗をもってごはんを食べれない・・・
左半身の感覚がほぼない・・・感情が認知機能に影響を及ぼしている・・・。
これらがこの先今まで通りに戻るかといえばそれはわからない。もし戻るとしてもいつ戻るのか、どの程度か・・・
医学的に言えばほぼ無理であろう。といわれる・・・・。だからと言って希望は捨てられない。
今どういう状態であっても、今後どういう状態であろうとも、「こうありたい自分」をしっかり認識すれば何があっても右往左往しないし、一喜一憂しないし・・・なにより振り回されない。楽だ。
実は昨日、江の島の龍宮をお参りしているとき・・・、
神社って鏡があるでしょ。その鏡がこう言うんだ。
「自分を見よう」って
今日は今日で、円覚寺の境内に座ってたら
「お前にとっての楽って何?」
そんなのが頭に浮かぶんだ。
この先少しの間『心のリハビリ』をしよう。
名づけて・・・
リハビリ籠山行。
リハビリって、究極の修行だなあ。
十一面歓世音誕生「別居」
さて、とりあえず実家に落ち着いた。
数日後、転入届など、市役所へ。
妻とは当分別居になる。(いろいろあって)
家に帰って一人号泣。
こんなことになるとはおもわなかった。この圧倒的な消失感。
家、仕事、財産、家族。(家族とは別居するだけだけど・・・)
実家に帰ったとはいえ、いろいろある。
実家に帰ってきて数日後、母は私に
「離婚しろ」と言った。
毒親ってよく言うけど・・・
ある意味うちもそういうところある。
親って、しかも年とるとめんどくさい。もっというと先祖の因縁みたいなものでてくる。難しい。ほんとは難しくないんだけど・・・
この話は別の機会にします。(病気と妻・親について)
結構重要なんで。
ちなみに妻は1か月立ち直れなかったらしい。