ものすごく久しぶりの更新が、暗い内容なのですが、自分の気持ちの整理のためにも、また、少しでも同じような状況に置かれた人たちの参考になればと思い、ブログを書くことにしました。
私は娘を授かる前に7週と9週で心拍確認後に流産した。
その後関東の大学病院で検査をするも、異常なしと言われたがその直後に化学流産をしたので、1年待ちで名古屋のA先生を訪れた。
A先生のもとで、血液の凝固系とNK値、プロラクチン値が高いことが判明し、娘の妊娠が判明してからは毎週名古屋まで新幹線で2時間以上かけて通い、薬を服用&朝晩のカプロシン自己注射をし、無事に10週を迎え、13週から東京の病院へ移り、出産することができた。
今年の三月、2人目を作り始める前に前回問題のあった項目を検査したところ、全く異常はなくなっており、もう2人目にあたり治療はいらないとのことだった。
それから約半年。2人目をやっと妊娠。
生理予定日よりも2日前に早期妊娠検査薬で陽性を確認し、そこから我慢して我慢して、待ちに待って10月13日に娘を産んだ大学病院を受診。
その時で、5週6日。娘の時には心拍が確認されていた頃だった。
期待と不安の入り交じる中内診台へ。
結果、胎嚢は1.5センチ。週数からいって1週間分小さかった。
もう、この時点で嫌な予感が始まっていた。1回目・2回目の流産の時にも胎嚢の大きさが小さかったからだ。
先生にお願いして2週間後の受診を1週間後にしてもらい6週6日に再受診。胎嚢は2,1センチ。やはり1週間遅れのものの、1週間分は成長してくれていたことに少し期待を膨らました。
その受診のあとから1,2回目の流産の時にはなかったつわりのようなものが始まり、期待感が大きくなった。しかし、一方で6週6日で心拍が確認できない状況は、8割だめだろうともう1人の自分が冷静に判断したりもしていた。
そして10月27日。7週6日で両手を合わせ、祈りながらの内診台。
超音波の器具が入ってすぐに先生が何も言わないことから今回もだめだったと確信した。
「あ!!心拍があるよ!よかったねー!」そんな言葉を待っていた私は再びあの絶望感に襲われた。
「・・・。先週から大きくなっていないんだよ・・。」先生が残念そうにモニターを見せてくれました。全く1ミリも大きくなっていない胎嚢。
一目でだめだということは私にも分かりました。
ただ、唯一救われたのが手術日が翌日になったこと。
1回目も2回目も手術までの間に出血が始まっており、2回目に至っては夜中に激痛と出血の中病院まで行き、翌朝まで震える思いで手術を待った苦い経験があったため、すぐに手術ができるのは本当にありがたかった。
この病院ではそうは手術でも1泊入院するため、両親に電話をかけてその旨の確認をとった。その時に初めて涙がこぼれた。
「ごめんね・・。また、だめだった。」つわりがあったことからどれだけ期待していたか知れない両親には、謝る言葉が先に出た。
旦那はちょうどその日に祖父の告別式があり、連絡が取れない状態。
入院前の色々な検査を待っている間に、ストーカーのように電話をかけ続けた。何度かけても留守電。一番、伝えたいのに伝わらない。
やっとつながった頃には、私の心は固まってしまっていた。だめだったことだけ伝え、淡々と検査を終え、帰路についた。
両親に電話した時にだけ涙が出、また、帰りの車の中で少し涙が出た。
「どうしてまただめなんだろう・・。どうして・・」
でも、翌日から手術・入院をし、会社を休まなくてはならなくなった私は、どうしても会社に行って済ましておかねばならぬことが山ほどあった。
何事もなかったような顔をし出社。笑顔でお客様にいらっしゃいませ。
会議もこなし、ジョークなんかも言いながら5時近くまで仕事。
夢中で働くことで気を紛らわせていた。
その夜も、旦那と流産についてゆっくりじっくり話したり、悲しんだりする間もなく、自分がいない間の娘の保育園の準備、どうしても終わらせねばならない会社の仕事。全てが終わったのは朝方4時半だった。
ほとんど仮眠状態で6時15分に起き、残っている仕事を終え、1人で出発。旦那には、娘を保育園までいつも通りの時間に送ってもらい、自分だけ先に病院へ行くことにしたのだ。
午前8時15分。病院に到着。8時40分頃呼ばれて手術前の処置。
子宮口を広げる薬を入れた。経験済みとはいってもやはり痛い。
うめき声が出るも、先生がとても優しく「ごめんね。ごめんね。痛いよね。もうちょっとだから。」声をかけてくれる。とても温かい先生で、救われた。
処置をしたあとは歩くのもやっと。座るのなんてふーふー言いながら一苦労。うなって待っていると病棟までの車椅子が迎えに来た。
やっとの思いで車椅子に乗り、4階の産婦人科病棟へ。その途中、娘を妊娠中に通った「パパ・ママクラス」があった。切なかった。
参加と同じ階の婦人科病棟。でも、お願いして一番産科から離れた病室にしてもらっていた。
手術までの4時間。子宮口を広げる痛みと闘いながら1人で病室で過ごす。看護士とのやりとりも淡々と時に笑ったりしながらやり過ごす。
旦那が到着したのが12時過ぎ。その時も普通に会話をし、1時過ぎに手術室へ向かった。
手術は、さすが大学病院というだけあって、スタッフの人数も段取りもこれまでとは全然違うものだった。安心して受けることができた。
術後はこれまでと違い全く痛みもなく、出血もほとんど無く、何事もなかったような身体に戻った。
意識が完全に戻って大して経たないうちに旦那は娘の保育園へ迎えに行く時間が来て、また病室に1人。
夜まで禁飲食と言われていたのが夕飯から食べられることになり、大喜びで5分で完食。旦那に買ってもらった分厚い読み切り漫画をひたすら読んでいた。
翌日に内診し、異常がなかったため退院が決まり、病院を午前11時に出発。帰りにサラダバーのついたステーキ・ハンバーグ店でモリモリ食べて帰宅。
入院前に名古屋の先生に流産の旨のメールを書いておいたので返事を確認すると、再受診して下さいとのこと。すぐに病院へ予約を入れ、11月30日に決定。
大学病院へは11月12日に行って術後経過を診てもらう。
ここまで、取り乱したり泣き崩れたり全くなく、本当に、ただ淡々とやるべきことをして忙しく過ごしてきた。
だが、心のどこかで不自然さを漠然と感じていた。
病院でも3回目なので・・と慣れた素振り。心の動揺がないのは、娘を出産し、1人でも可愛い子供がいることが大きな支えになっているからだと思っていた。
でも、昨日あたりから心のバランスが崩れ始めた。
何かがおかしい。何を淡々としている?どうして、旦那に悲しいと泣かない?私の心は冷たくなったのか?なんで病院で笑ったりできた?
漫画なんて読めていた?仕事のメールをできていた?絵文字なんか使っていた?次の妊娠はいつ?また遠い名古屋までどれだけ通う?
詳しく検査って、いったいどこから検査するの?いったいいくらかかるの?大丈夫って言ったじゃない?異常ないって言ったじゃない?なんで私ばかり?つわりだってあったじゃない?
気がつくと涙が頬を伝っていた。
私にとって悲しいと感情をさらけ出せるタイミングはおそらく流産を告げられた直後だったのだろう。でも、その時は一人きり。
こんなにもタイミングがずれると感情は固まってしまうのかと自分でも驚いた。
退院後からほとんど家のことをしてくれている旦那の前で泣いた。
娘がいるんだから・・と旦那は言った。そんなに辛いなら、1人で十分だとも言った。
泣いていたら娘がタオルを持ってきて、涙を拭いてくれた。これまた泣けた。
本当なら昨日は旦那の友人の結婚式の二次会だった。それもキャンセルし、月曜の仕事までキャンセルしている旦那に、大丈夫だよー。大げさだなぁ位のことを言っていた。まさか、こんなに自分が崩れるとは思っていなかったから。
仕事も日曜の夜に行って発注だけしなくてはなんて考えていたくらいだ。それが今朝のお岩さん顔といったら・・。泣いて腫れ上がった36才寸前の自分の顔は汚かった・・。
引き続いて今日も不安定な一日だった。不安定で、お腹がいっぱいなのに食後にアイスやらお菓子やらを貪り食っていたら1キロ太った。
実家の母には、しっかりしないと。10代じゃないんだから。お父さんに心配かけるな。神様におまかせする気持ちが足りない。色々言われた。心には届かない。
きっと、心を固まらせ、凍らせて平然と振る舞っている自分を動揺し、悲しんでいる自分が「なんて冷たい人間だ」と見てしまったのだろう。
この矛盾は、どうしたら解消できるのだろう。仕事復帰したら常にこの矛盾と向き合うようだ。
これまでのように悲しみが落ち着くまで1月とか休むわけにはいかない。
これでいいのだろうか?こういうものなのだろうか?
平然としていることは冷たくないのだろうか?
整理がつかない。
次に妊娠し、10週の壁を越え、笑える日はいつ来るのだろう。
また、この長い道のりに耐えられるのだろうか。
今日は、私の36回目の誕生日。複雑な誕生日になってしまった。
ネットには、一人目を不育症の治療の末授かり、2人目を治療なしで妊娠とか、治療しながら妊娠とかの情報が私が調べた限りではなかった。みんな、どうしているのだろう・・。
整理を自分なりにする意味で、今の気持ちを記録しておく意味で、また誰かの参考になればと思い書いてきたが、整理もつかず、誰かの参考になるような内容もないと思われ・・散々だが、終わります。