天龍源一郎のレスラー生活で好敵手として頭に浮かぶのがジャンボ鶴田、長州力、スタン・ハンセン、橋本真也、ランディ・サベージ、阿修羅原・・・などで天龍の最初の好敵手はテッド・デビアスだったような気がする。

 

 テッド・デビアス  最近のプロレスファンは、彼を知らないかもしれないが、デビアスは父親もアイアン・マイク・デビアスという有名なレスラーでもあった。ザ・ファンクスの父親ドリー・ファンク・シニアとは父親同士親しく、その間から彼もファンク道場でレスリングを学び、同じ頃ジャンボ鶴田、スタン・ハンセン、ボブ・バックランドもその道場に居たらしい。レスリングセンスはハンセンよりもデビアスの方が上だったようで、

鶴田もバックランドもデビアスと勝るとも劣らぬセンスがあったらしい。しかしハンセンは不器用でファンクスだけでなく仲間達からも生涯、良くて中堅レスラー止まりだと思われていたが、ハンセンがだいぶ後になってから起死回生したのは言うまでもない。

 大相撲を経てプロレスラーになった天龍がアメリカに渡り、デビュー戦の相手も実はテッド・デビアスだった。当時テッド・デビアスは持ち前のレスリング技術を駆使して正統派レスラーとして日本でも大いに人気を得た。ジャンボ鶴田もデビアスには相当苦戦させられた相手でもある。

 そして1983年秋、天龍は当時鶴田が返上したUNヘビー級王座を賭けてデビアスに挑むが善戦虚しく敗れてしまう。その翌年、リッキー・スティンボートを破り、UNヘビー級王者となるが、天龍は初防衛戦の相手にデビアスを指名。その翌月にデビアスと対戦し、見事勝利する。天龍にとってデビアスを破ってこそチャンピオンとしての資格を得た気持ちだった。

 天龍にとってデビアスはデビュー当時から目標相手でもあった。天龍はデビアスがいたからこそ強くなれたと思っているだろう。それだけデビアスの実力は相当なものだった。

 その後デビアスは悪役レスラーとなり、スタン・ハンセンのタッグパートナーとなりPWF認定タッグ選手権を獲得。1985年「世界最強タッグリーグ戦」にも優勝している。ファンの間ではハンセンの最強のパートナーはデビアスと評価している。そして

デビアスはWWF入りし、「ミリオンダラーマン」としてキャラクターレスラーとなった。

尚、息子のテッド・デビアス・ジュニアはレスラーとして、そして俳優として活躍している。
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息子のテッド・デビアス・ジュニア

父テッド・デビアスも若い頃は二枚目だった。

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息子テッド・デビアス・ジュニア主演の映画作品

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