さて、今回は検査の中でも半端ない「痛さ」の話をしよう。

   

     初めての入院②(骨髄穿刺)

 

 さて、入院がこんなにも楽しいものだと思われると困るので、ここからは検査の話をしよう。入院して4人部屋に移ってから、殆どの日の午前中は検査だった。受けた検査の全部は覚えていないが、痛かった検査はよーく覚えている。

 特にその中でも「骨髄こつずい穿刺せんし」というヤツは、絶品だった。やった人でないとその恐怖と痛さは、分からない。渉はこの検査を入院中3回受けた。

 

 その前にこの検査が「どんな目的で行うのか」という事を簡単にご説明しておこう。

 まず、不明熱が続いている、原因不明の貧血や、出血を止める血小板の減少、さらに血液腫瘍(急性白血病、悪性リンパ腫、多発性骨髄腫等)の疑い、又は、がん、肉腫の疑いがある時に行う検査である。

 骨髄から骨髄液を採取する検査の事である。飛び切りの痛さと、骨髄液を取る場所により、ある種の恐怖がある。

 

 次に身体のどこから、どんな器具を使い、どんな方法でやるのかという事をご説明しよう。

 まず「骨髄」というのだから「骨の髄」。渉たちの年代は「骨の髄」と聞くと、小林旭の代表曲「自動車ショー歌」を思い出す。

 

あのこをペットにしたくって

日産するのはパッカード

(ほーね)の髄までシボレーで

あーとで肘鉄クラウンさぁ~んぁあ

ジャガジャガ飲むのもほどほどに

ここらで止めてもいいコロナ~  (「自動車ショー歌」の歌詞を引用した)

 

 の「骨の髄」なのであるが、この歌を知らない御仁はYouTubeで聴いてみて下さい。こんな滑稽な歌とは違って「骨髄」からは「髄液」という、通常は透明だが血液が混ざると、まるで「CHANEL」の高級化粧水の様な、それは、それは「透明でめっちゃ、きれいで落ち着いたピンク色の液 」が取れるのである。

 

 がしかし、その歌と色とは裏腹にその検査はめっちゃ痛いのである。それでは、そのやり方をご説明しよう。

 一回目は胸からやる穿刺であった。まず胸骨から取る方法は、血管損傷や心臓の心嚢(しんのう)と呼ばれる空間に、液体が大量に溜る「心タンポナーデ」を起こし死亡する患者が発生した為、現在は腰骨から採取できない場合に限り、取り行う事になっているのだそうだ。

 渉が行った時代はまだ、採った「骨髄液」が脂肪髄化を起こしにくく、正確な診断が出来るので、第一回目は胸骨から採ったのであった。

 

 そのやり方は、まずパジャマの胸をはだけてベッドに仰向けに寝る。そして施術が見えない様に、僕の目の前が小さなカーテンで仕切られる。

 次に胸の中心を消毒し「胸骨」の真上辺りに麻酔注射をする。それはチクチク程度の痛さだ。

 暫くすると、この時はカーテンで見えなかったが、後でその器具を見ると、ワインの栓抜きの様な形をした器具で、胸骨に向けて針を刺すが、途中からギリギリと錐で穴を開ける様な音がする。まあそこまでは麻酔か効いているので痛い事は痛いが、我慢できない痛さではない。

 そうして、針の先が胸骨の真上まで来ると、医者が「はい息を吸って」と言います。そこで言われた通りに息を吸うと横隔膜が上がり、待ち構えていた針先に胸骨が刺さります。

 

 すると、まず目から火花が散り、絶品の痛さが胸の奥底でズゥーンと広がり、踊りまくります。そうして暫く骨髄液を取り、そして針を抜く。その間も、相当痛いはずなのだが、針先に胸骨が刺さった時の悶絶級の痛さの方が断然勝り、殆ど痛さは感じなかった。それから30分程度鈍痛が続き、完全に元の状態に戻るには半日は掛かるのだった。

 

 施術後暫くしてから、ネットで調べても「たいした痛みではない」と書いてある。これを書いた医者はこの検査をやった事がないか、若しくは余り露骨に「痛い」と書くと、検査をしてくれなくなってしまう恐れがあるのではないかという、何れかの理由で「たいして痛くない」様な表現をしている。

 そしてさらに、これでもかと言わんばかりに「歩いて帰れます」「この検査は通院で出来ます」と書いてある。確かに足を切り取られる訳ではないから、痛くたって「歩いて帰る」事は出来る。歩いて帰れるなら、当然「入院する必要もない」こと位、幼稚園の〝年中さん〟だってわかる。

 

 今、ネットでも若いお医者さんが、どの位痛いものなのか、自分で経験した動画がYouTube上に、出ているので、観たい方は、是非観て下さい。

(動画の探し方:グーグルで「骨髄穿刺」(こつずいせんし)と入力し、出た画面を「動画」に切り替える。そうすると「血液内科医が穿刺されてみた」というタイトルの動画を(2022/04/27付)のYouTubeを観る事が出来ます。

 〝反社会的勢力の強面のお兄さん〟に、この検査をやる前に「大した痛みではありませんよ」的な、誤魔化しの様な事を云ったら、間違いなく後で半殺しの目に逢う位「痛い」と云う事を、予め云っておきます。

  

 勿論、検査前に検査メニューを頂いて、予め「骨髄穿刺とは?」と、ネットで予備知識でも頭に入れておけば、先生が大して痛くないと云っても、マルッとは信用しなかっただろうが、「は~い、息を吸って」と言われれば、その時は、躊躇なく息を吸えたのだが、その余りの痛さに、後で医者に対しての「コノヤロー感」が湧いてきたのだった。

 もし、生きている間に「胸骨でやる」と言われても、動物の本能で、簡単に仰向けになって、お腹側をさらして無防備な状態であれだけ痛い思いをしたら、死んでもいいから、もう二度と胸からはやらない思うのが普通である。

 

 二回目は尻を丸出しにされて腸骨という骨盤にある骨に刺す。こちらの方は胸から取られるよりは相当ましで、若い看護婦もいる中で尻丸出しで恥ずかしさは有るが、まず恐怖感がない。と同時に痛さも少し鈍くなる。

 しかし、次の三度目の時には、その数日前に僕の担当医になった26歳のインターン上りの浜野という先生が、「痛くないですから」とお気楽な調子で言われた事がすんごい頭に来て、先生に

「先生、簡単そうに痛くないって言ったけど

 この検査やった事あるの」と聞いた。

すると、案の定

「いえ、やった事はないです」ときた。

「先生、やった事がなくって

 どうして痛くないって言えるんですか」と、

本当に頭に来たからそう言ってやった。

するとその先生は、

「申し訳ない」と一言、謝罪した。

「いや、ごめんなさい。僕の方こそ偉そうに」

と云って、お互いに詫びて、その後は普通に検査を受けた。

 

 周りには何人かの看護師や看護婦がいて、その中にはあの「なっちゃん」もいた。渉が部屋に戻ったら早速、なっちゃんが来て、筒井さんや岡本さんに、まるでその時の様子を武勇伝の様に話すもんだから「もういいよ」と云って、まだ痛い臀部を摩りながら布団にもぐってしまった。

 なっちゃんは、このインターン上りの先生が大嫌いと見えて、渉が浜野先生に、悪態をついた事で、よっぽど留飲を下げたのであろう。その後も他の看護婦が捜しに来る迄、得意気になって、渉の事を褒めちぎっては、浜野先生を言葉でケチョンケチョンにしていたのだった。

 

 この浜野先生は、それから一週間後に地方の病院に転任になり、わざわざ挨拶に来てくれた。そしてこう言った。

「あの時の七海さんの目は絶対に忘れません。

 僕は七海さんのあの一言で目が覚めました。

 患者さんの痛みや恐怖に対して、

 自分が余りにも鈍感でした」

云う様な事を云って彼は発って行った。

 

 渉の周りで、この検査をやったことがあるという人が一人だけいた。それは渉の現役最後の仕事の学習塾の時の塾の講師で、元小学校の先生をしていた女性の講師で当時の彼女は60歳。

 赤血球が異常に多くなる病気で1週間程度入院して検査を受けて、復帰して初日の授業の前に骨髄穿刺の話になり、腰骨から施術したが、「あんな痛い検査、二度とやりたくない」と云った。

 渉が一回目は胸骨でやったと云ったら「え~っ、あの検査を胸から? ふぁ~、私は絶対にやらない。絶対嫌だ」と云い、その後に、彼女は女にしかわからない名言を吐いたのであった。

 

 その名言とは、「あの痛さなら、お産の方がよっぽどまし」であった。

 

今回も最後まで読んで頂き、有難うございました。

次回も入院中の逸話が盛り沢山のです。乞うご期待下さい。

次回の投稿は5/24(金)です。