冬休みはそれなりに楽しかった。

今日からまた授業が始まる。

普通なら授業なんてダルいのに,もう少しで卒業だと思うとそれさえ名残惜しく感じる。

不思議だな。







とりあえず,
ラーメン食いてぇ。
(°∇°)



記事を書くのはこれで2度目。
ものすごく久しぶりの投稿です。

本当は,ラーメンや映画についてゆるーく書いていくつもりでした。

しかし,何故か一発目を真面目なテーマで書いてしまって・・・(笑
(初投稿の記事の内容は,今思うと多少無理のある理屈。でも,微塵も強引さがない文章なんて俺には書けません。)

初めから方向性を見失った次第です。




だから,決めました。


ノージャンルでいろいろ適当に書きます!

んじゃ,また
はい,はじめまして。

初投稿になります!


このブログでは本来
映画と食事(ラーメン等)について
徒然なるままに綴っていくつもり
だったのですが,
ネタを探しているうちに
別のことを書きたく
なってしまいまして・・・


どーぞよろしくですにゃー


ー ー ー ー ー ー ー

ビンラディンの殺害についての
個人的な見解。


「日本の一般市民」というのは
テロリストの仲間ではなく,
むしろ
テロリストと敵であるアメリカと
近しい存在なわけだから,
こっちからしたら向こうが「悪」で
向こうからしたらこっちが「悪」
なわけだよね。

正義ってのは,
自分がどの立場にいるのかで
定義が変わってくるものだから,
この場合,テロリストの死は
正しいことなんじゃないかな。

仮に,日本の一般市民で
それについて理解できていない
人がいるとしたら,
「ビンラディンが
日本に潜伏している」
と想像してみてほしい。
もしくは
「ビンラディンが日本で
テロを起こす計画を練っている」
という報道がされた場合を
考えてみてほしい。

そうなったら一般市民の多くが
恐怖を感じるだろう。
そして,
彼の死が発表されるのと同時に
(無自覚でも)
安堵を覚えたはずだ。

解りやすくするために
極論を言うとすれば,
軍事力の大きさが
「アメリカ>テロリスト」だから
今回はこれで済んだけど,
もし力関係が逆だったら
死者は何倍になっていたのか
想像もつかない。

日本にも攻撃が及んで
いたかもしれない。




たしかに
「人を殺した時点で
正義とは言えない」
という意見もあるだろう。

しかし,そこでまた
もう少し想像しやすい状況に
話を置き換えてみてほしい。

例えば
ある日あなたの愛する人が全員
1人の人に殺されたとする。

そして,その人はほどなくして
警察に捕まった。

しかし,その人に死刑が
執行されなかった。

それでもあなたは
「それが正義だ」
と少しの迷いもなく
言うことができるだろうか。

悟りでも開いていない限り
そんなことは無理だろう。


さて,ここで話を
ビンラディンの殺害に
戻してみてほしい。

テロは数多くの人の命を奪った。

テロの犠牲となったその方々は皆
「どこかの誰か」の大切な人だ。

彼が殺害されないとしたら
それはテロ被害者の遺族にとって
耐えきれない苦痛だろう。

ビンラディン自身も
「どこかの誰か」の大切な人
なのかもしれないが,
彼が生きていることで
数多くの人の命がこれから先も
危険にさらされるという
可能性があるならば,
殺害は正当化されるはずだと
少なくとも私は思う。

これは
私の個人的な意見であると同時に
「日本の一般市民」という
立場から見た正義の形
なのではないかとも思う。
(あくまでこの考えも
個人的なものだが。)

この結論に至るかどうかは
各々の考え方次第だと思うが,
「平和ボケした正義」を
「正義」だと錯覚しないように
気を付けたい。

最近の日本人には
それがありがちだと思う。
肌で感じられることが度々あり
とても恐ろしくなる。


世界から日本が
置いていかれているような
感覚になる。