寸鉄2023③ この一年の日記からのノート断片とアフォリズム
1「ベンヤミンとパサージュ論 見ることの弁証法」S.バック=モース 勁草書房
7・11
○「◎一方通行路」への献辞は、書名と同様に歴史の不可逆性と新しい出来事の決定性を表現している。「この通りをアーシャ・ラティス通りと名づける。この道を、技術者として著者のなかに切り開いた女性の名にちなんで」p22
○◎プルーストが自分の生の物語を目覚めと共にはじめたように、歴史の作品はどれも目覚めとともに始めなければならない。 ベンヤミン p52
○◎ベンヤミンが一貫して行っているのは、歴史の自動的な進歩という神話に対する攻撃である。それ(進歩の神話)こそが最大の政治的危機 p96
○1848年以前(最初のパサージュとフーリエの時代)はベンヤミンにユートピアへの期待の形象の豊かな源泉となっていた。p385
2 「ルネシャール全詩集」吉本泰子訳、青土社 7・19
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○ ⅩⅦ
ヘラクレイトスは、相反するものの熱狂させる結合を強調する。(略)
詩と真実が、私たちの知るように、同義語である。(下略)P132
[イプノスの綴り] 1943-4年 A・カミュに
○ 178
私が働いている部屋の石灰の壁に張ったジョルジュ・ド・ラ・トゥールの「囚人」の色刷りの複製画は、時がたつにつれて、私たちの状況の中にその意味を反射するようだ。この絵は心を締めつけるが、何と渇きを癒してくれるだろう!二年前から、対独協力拒否者は必ず、ドアを通り抜けながら、この蝋燭の証に、目を燃え立たせた。 (略)
人間存在との対話によってヒトラーの深い闇に打ち克ったジョルジュ・ド・ラ・トゥールに感謝する。P159
【ルネシャール 詩・生涯】
○◎そこ(抵抗運動の最中の日記)では、ナチズムの神話からの解放のために明晰さが求められる。この明晰さは抵抗運動自体にも向けられ、ナショナリストの特徴を排除する。
(略)この明晰さは苦痛を伴なわずにはいない。だからこそ「明晰さは太陽に最も近い傷だ」と述べられる。P535
◇「明晰さは太陽に最も近い傷である」という詩行を知ったのは、1970年頃のことである。『壁は語る』というパリ五月革命の落書きの写真集に載っていた。それが平野啓一郎の小説『マチネのあとで』を読んでいて、ルネ・シャールの詩行だと知ったのは、2010年代も後半、実に半世紀近くあとのことである。平野さんの小説でも「謎めいた」詩行として登場するこの詩の解釈がここでは試みられている。
3「無知な教師 知性の解放について」ランシエール、法大出版会 8・8
○○◎ホッブズは(その点について)ルソーよりも注意深い文章を書いた。社会悪は「これは私のものだ」ということを最初に思いついた者に由来するのではない。「お前は私と平等ではない」」ということを最初に思いついた者に由来する。P119 ~「不平等起源論」
○◎偶然の出来事だけがまさにその予見不可能性によって、不可能であることが自明とされているものの可能性を開く。p208-9
4「Z世代のアメリカ」三牧聖子、NHK出版新書 8・12
○サンデル「実力も運のうち~能力主義は正義か?」
「運」でえた富を「実力」で得たと勘違いした傲慢なエリートがあらゆる権力をにぎりアメリカの民主主義は多様性を失い活力を失ってきた Ⅲ p55
○「私たちはいとも簡単に戦争と平和を語りすぎる。(略)世界がどうだとか、国際貢献がどうだという問題に煩わされてはいけない。それよりも自分の回り、出会った人。出会った出来事の中で人として最善をつくすことではないか。」中村哲 p157
○中村の好んだ言葉→最澄の「一隅を照らす」=自分の身のまわりから照らしていってください。 NHK出版、2013「天,共に在り」 p158
5 「対訳イェイツ詩集」高松雄一訳 岩波文庫 8・14
○美が夢のように消えるなどと誰が思おう?
Who dreamed that beauty passes like a dream?
1-1 8「世界の薔薇」1892 p53
○あなたが老いて白髪になり眠りに満ち満ちて/ .暖炉のそばにまどろむとき、この詩集をとって/ ゆっくりと呼んでくれ。(下略)
When you are old and grey and full of sleep./ And nodding by the fire,take down this book。
And slowlyread, (下略)
1-1 13「あなたが年老いるとき」1892 p67 ○あそこなら心もいくらかは安らぐか。安らぎはゆっくりと
And I shall have some peace there.for peace comes dropping slow.
11「湖の島イエスフリー」 p61 1890
○愛という言葉に私たちは黙りこみ 最終連1行
We sat grown quiet at the name of love.
19「アダムの呪い」1902 p87
○木の葉は数多くても幹はひとつ、/ 偽りの青春の日々がつづくあいだ
私は陽光を浴びて葉と花を揺すらせた。/ いまは真理のなかへ凋んでゆくか。
Though leaves are many,the root is one;/ Through all the lying days of my youth
I swayed my leaves and flowers in the sun ;/ Now I may wither into the truth.
21「時を経て叡知が訪れる」1910年 p93
○木々は秋の美のさなかにあり、/ 森の小径は乾いている。
The trees are in their autumun beauty./ The woodland paths are dry.
1-Ⅰ 25「クールの野生の白鳥」1917 p115
○そうして私は叫んだ,「老いぼれる前に、/ この男のために一篇の詩を書こう、
おそらくは夜明けのように冷たくて/ 情熱にあふれる詩を書こう」と。
And cried,‘Before I am old/I shall have written him one
Poem maybe as cold/ And passinate as the dawn.’
28「釣師」 1917 最終連ラスト4行、p123
○すべてが変った。完全に変った。/ 恐ろしい美が生まれた。
All changed,changed utterly.:/ A terrible beauty is born. p139
○あまりに長いあいだ犠牲に耐えていると/ 心が石になることもある。 p145
Too long a sacrifice/ Can make a stone of the heart.
36「1916年復活祭」」 1916年9月25日
☞1916年4月24日復活祭、市民軍、義勇軍、アイルランド共和国の独立を宣したがイギリス軍が弾圧、15名処刑。
○なかでも知的な憎しみが最も悪い。だから/ 意見など忌むべきものだと思ってほしい。
An intellectual hatred is the worst./ So let her think opinions are accursed.
32「娘のための祈り」1919年6月 p159
◇iイェイツから対訳で長く引用した。どうしてこの夏にイェイツの詩集を図書館で借りて読んだのか。ヒントは、シジェクの対談を読み、そこにあるイェイツの引用の適確さだった。αβ―64のシジェクのメモに出てくる。「再臨」という詩の一節。のちに書いたように、ある時期のイェイツは私たちの同時代人である。
6「ボードレール」サルトル、人文書院 8・14
○ボードレールの有名な明晰さは回復の努力にすぎない。自分を回復させて—視力は私有物だから―自分を見たいのだ。P16
7「家永三郎『植木枝盛研究』を読む」鈴木宏之,「さようなら!福沢諭吉」15号 8・15
○◎「人民の自由権利を侵害し、建国の旨趣を奸する時は日本人民は之を撲滅し、新政府を建設することを得」抵抗権:枝盛憲法案 p62
8「反戦川柳人鶴昭の獄死」佐高信、集英社新書 8・17
○◎「労働ボス吼えてファッショ拍手する」
1936年㋀ 日本労働総同盟∔全国労働組合同盟=全日本労働総同盟→戦争支持p78
○「◎戦争が廊下の奥に立っていた」渡邊白泉 p210
9「ドストエフスキー」カー、原著1931年、筑摩叢書 8・19
○「閉じこめられた部屋では、思想さえも閉じこめられる」(ドストエフスキーの小説中の一人物)p16
○◎「あまり長い間深淵をのぞいていると、深淵がきみの魂をのぞき込むようになる」(「善悪の彼岸」ニーチェ)p67
10 日記より 8月25日・金
◇午後、「ホラティウスと20世紀」という雑文にとりかかる。下の文章を探して時間がかかった。
「キルケゴールとマルクスとニーチェは、われわれにとって、権威を失った過去への道標のようなものである」
「K.マルクスと西欧政治思想の伝統」アーレント、大月書店、p139
11「平家物語」石母田正、岩波新書 8・29
○「名将男子と云へども、運命盡きぬれば力及ばず、されども名こそ惜けれ。」
P15(「知盛壇浦」)
○それ(運命にさからってもがいた多くの人間)を物語にしたことによって、彼は人間の試みを無意味なものと考える思想と戦っているといってよい。P50
○「降る雨車軸の如し(下略)」 (「大宰府落」) p262
12 日記より 9月2日・土
◇古いメモ(2018年頃)の中からこんなセンテンスを見つけた。
「『革命』を積極的に志向するならば、それは「始点即ち過程」以外ない。それは「達成」ではなく、「あらためて出発すること」、「くり返し続けること」である。」
(高祖岩三郎「グローバル68―あるいは回帰する日常生活の地平」)
メモに続いてベンヤミン「現在時」、ドゥ―ルーズ「反復」との関連を示唆している。68年の意義と関連し、私の「寸鉄2022」の分類に用いた「始点」という言葉が登場する。
13「20世紀詩人の日曜日」田村隆一、マガジンハウス社 9・2
○「微笑は笑いの完成である」アラン p262
14「現代世界の歴史的考察から導かれたブルクハルトの古代後期の教え」 9・5
(レーヴィット「ヤーコプ・ブルクハルト」最終6章)
○あらゆる地上的善のはかなさについて語るプルタークの次の言葉のうちに、
ブルクハルトの生の決算は反映している。
プルタークは次のように言う、とブルクハルトは書いている。
「我々のうちにある全てのもののうち、教養のみが不滅で神的である」
(「ギリシア文化史」、「世界史的考察」)p443
15「詩人のノート」田村隆一 9・9
○裸足の青年がひとりー むこうから歩いてくる p36
(「虹色の渚から 晩年のムンクの自画像を見て」)
◇昭和45年秋の鎌倉近代美術館のムンク展を観たと自註にある。私の「花冠」のラストに、この詩行を「借用」している。ムンクの自画像ではなく、上野で観たアクロティリ遺跡のフレスコ画がキーとなって、詩行が浮かび上がっている。
○金子光晴 詩集「鮫」 昭和10年9月 自序 p182
「よほど腹の立つことか軽蔑してやりたいことがあったときのほかは、今後も詩は作らないつもりです。」
○ 窓 p197
窓のない部屋があるように 心の世界には部屋のない窓がある 「Nu」
(ジャコメッティの裸婦の彫刻のための寄稿 1950年代前半)
16「本郷」木下順二、講談社文芸文庫 9・10
○小石川區∔本郷區→文京区 1945年3月15日 p8
○地番変更 1965年4月1日 反対を貫いたのは弥生町だけ p9
○中央会堂 メソジスト 「三四郎」に会堂チャーチとして登場p167-9
○◎夜の本郷通りには食いもの屋の屋台がずいぶん出て、中には七つ十銭の鮨屋(略)朝五時の市電の始発まで大抵は店をあけている。
徹夜の勉強 屋台へ →もう一つ頑張れる時 手拭をさげて朝五時開店の揚出しへ(言問通りを抜けて)〔画家の小糸源太郎の実家〕p291
◇文庫本の巻末に、本郷の見開きの地図がある。現在の地図に「本郷」に出てくる26か所が出てきて旧地名も載っている。私の生活圏とどう重なるか:
湯島と広小路のあいだの春日通り南側に、私の生家があった。60年代の初めにビルへ建てかえるとき、根津神社のすぐ上に、一年あまり転居していた。越境入学していた誠之小学校へは、天神下から本郷三丁目まで都電で行き、三丁目から追分町へは乗り換えた都電で通った。「追分」とは中山道と岩槻街道の追分なのだが、三丁目から東大農学部前で左折し中山道を通るバスもあって、その場合には左折して一つ目のバス停、西片町でバスを降りた。中学、高校(開成学園)へは、はじめ都電で、広小路から、不忍池の北の一角、水上動物園沿いに七軒町へ出て、道灌山下まで通った。入学して程なく地下鉄千代田線が開通したので湯島から西日暮里へ通うようになった。
のちに結婚したあとの賃貸の住まいも、北区西ヶ原を除いては、言問通り沿いの上野桜木、文京区春日の伝通院の近く、白山(旧名丸山福山町)の住まいはこの地図に入り、娘の出生地(日本医大)、保育園、幼稚園、小学校も地図に入る。
26カ所の地名等のうち、⑱万定㉕中央会堂は記憶に親しい。万定は小学校の同級生で若くして自殺した外川陽子の実家であり、中央会堂はピアノと英会話(あるいはその一方)を学んだ場所であり、もしかすると「本郷」に出てくるのと、同じ建物である。東大前に本屋(古書店も)が軒を連ねることは当時と同じだが、店名までは覚えていない。切支丹坂(屋敷)については、少年時代には知らなかった、と思う。反対に、西片町十番地はあっても誠之小学校のないこと、湯島天神は地図にあっても、切り通しや、男坂・女坂の記述がないことが面白い。
17「純粋理性批判 下」カント、岩波文庫 9・15
○理性の原則は経験という規準によって絶えず吟味されねばならない。P14
○先験的(個々のいかなる経験よりも前にある) p163
付録3〕○経験は,我々にとって最初の教え(略)そして経験は絶えず進行するp227
○経験は,真の普遍性を我々に与えないp228
○定義する(definieren):限界によって他と区別するp28
○認識の対象は直観によってのみ与えられ得る。P21
○無はいかなる性質も持たない p87
【1、事項索引】
18 概念 Begriff 悟性から概念が生じる
62 悟性 Verstand 理性は一切の認識を悟性に委ねる
140 認識 Erkonncnis 感性と悟性の結合によってのみ認識が生じる
33 感性 Sinnlichkeit 43 経験 Erfahrung 172 理性 Vernuf
18「壊れゆく世界の標」チョムスキー、NHK出版新書 9・16
1 ○レーガンが初期に着手した政策にタックスヘイブン(租税回避地)と自社株買戻しの合法化(タックスヘイブン株)p21
○◎郵便に向けられたトランプの攻撃
→国の行政機関が一般市民の役に立つ→とんでもない⇒そのウラに富裕層や有力者の入れ知恵があったことは間違いない。P42-3
Ⅱ ○知的財産権 クリントンが残したネオリベラリズムへの素晴らしい贈り物の一つ
↓↑
ベイカー 知的財産権をどうすればとりのぞけるか、提案 p63-4
Ⅵ ○◎市民的不服従(良心に基づき従うことができないと考えた特定の法律や命令に非暴力的手段で公然と違反する行動)p231
Ⅶ ○知性の悲観主義、意志の楽観主義 2021/12/9 アリゾナ州オフ・バレーにてp238
○◎不平等の問題は大昔から存在するが、多くはこの40年ほどの、一般国民に対するネオリべラリズム攻撃から生まれたものだ。P241
○◎古きものは死にゆき、若きものは生まれ得ぬ。この空白期間には多くの恐ろしい事実が現れる」(グラムシ、1930年代初め)p264
19 近代とホロコースト」バウマン 9・27
「記憶する義務 しかし何を?」2000年版へのあとがき
◇読み返していたら2000年に書かれた長文のあとがきがあるのを発見、重複するかもしれないがメモする
○◎〈過去をコントロールする者が未来をコントロールするというオーウェルが正しいとするならば、現在をコントロールする者が、未来を人類にとって住みがたい、また、住めない場所にしてしまうことがないよう、彼らに過去の操作を許さないことが至上命令なのだ。P449-51結び
20「大義を忘れるな 革命・テロ・反資本主義」S・シジェク、青土社 9・30
<Ⅲ>○◎神父「賢い人は葉をどこに隠すだろう。森の中だ。だが森がないときにはどうする。自分で森を作るのさ…・死体を隠さねばならんとしたら死体の山をつくるのさ」(「折れた剣」、チェスタートン『ブラウン神父の童心』)p149
○ハイデガーたちもまた、ナチスという死体を西洋形而上学とよばれる死体の山の中に隠した。P152
〈Ⅵ〉○「我々は自分が想い出せないことを反復するように強いられる」
(というフロイトのモットー) p480
<Ⅸ>○◎ 恐怖を(terrorを) / 街から追い出してはいけない。
いかなる人間が、恐れを抱かずに / 真に高潔たりうるというのか。(下略)p645
アイスキュロス「エウミニディス」(「悲しみの女神たち」の終わり)
21「青髭ジル・ド・レー 悪魔になったジャンヌダルクの盟友」
レナード・ウルフ、中公 10・4
○◎「子どもたちがわれわれを喜ばすのは、彼らが可能性の原型だからだ。」
「カラマーゾフの兄弟」 p139
22 「差異と反復 上」ドゥ―ルーズ、河出文庫 10・9
○「理性の眠りは怪物を呼ぶ」
ゴヤ「カプリチョス気まぐれ」 p89 (←序論)
◇同一の引用→寸鉄2023①―10 スタロビンスキー「自由の創出」
23「正統とは何か」チェスタートン著作集1,春秋社 10・15再読
◇’80年代にメモしたチェスタートンの何行かを見つけ出そうとして、斜め読みしたが、発見できなかった。かわりにいくつかメモをした。
○◎自然を説明する言葉として私が納得できる言葉はたった一つしかない。おとぎ話で使う言葉だ。つまり「魔法」という言葉だけである。P84
24「民衆のアメリカ史 上」ハワード・ジン、TBSブリタニカ 10・16
〔日本語版への序文〕〇日本の人たちとは特殊なかかわり→66年6月 ベトナム戦争と反戦運動について語るために招かれた 北海道から沖縄まで日本中をまわる
○大勢の学生たちが4時間の話合いのために東北大に集まった。80人位の学生たちがロビーで待っていて議論を続けたがった。近くの公園の芝の上で午前0時すぎまで。
○「白人は頭皮をはがない。しかしいっそう悪いことをする。彼らは心に毒を塗る。」
族長ブラックホークの降伏演説 p220
25「漂泊と定住と 柳田国男の社会変動論」鶴見和子、ちくま学芸文庫 10・19
○◎在来の伝記的歴史に不満である結果、故意に固有名詞を一つでも掲げまいとした
「世相篇自序」 p85
○「産褥の女が鉢巻を締めて生まれたばかりの嬰児を抑えつけている」間引きの絵馬 →少年期の体験「故郷七十年」 p103
26「意志と表象としての世界 1」ショーペンハウエル、中公クラシックス 10・21
○◎われらは夢と同じ糸で織られている
ささやかな一生は眠りによってその輪を閉じる。「テンペスト」4幕1場 p42
27「第二の世界」オーデン、晶文社 10・21
○◎歌うということは、もっとも無償、無目的な行為であるから、それ故オペラの世界は、個人的行為の世界である。 p123(→ここより、αβ-66)
○◎致命的なのは、「黒魔術」としての言葉の使用である。詩という「白魔術」と同様に黒魔術も魅惑に関係をもつ。しかし、詩人が、自分のとりあげたテーマに魅惑され、その魅惑の状態を他人と分かちあいたいと望んでいるだけなのに対し、「黒魔術師」は完全に冷静である。他人と分かちあう魅惑された状態 をもっているのではなくて、他人に対する支配権を確保し、他人を思いのままにする手段として魅惑の状態を利用する。P165
〇◎われわれが死者と食事をともにできるのは、偉大な芸術家を通じてのみである。また死者との交わりなしには、完全な人間生活はありえない。P182
【あとがき:オーデンー小ゲーテの側面 中桐雅夫】
○◎「しかし獲物として一つだけ奴に手の届かぬものがある /
人食い鬼は言葉をものにすることができないのだ」
「1968年6月」堀田善衛訳~チェコ侵入p204