寸鉄2023② この一年の日記からのノート断片とアフォリズム
1「転向の思想史的研究―その一側面」岩波、藤田省三 4・1
◇第三章 (昭和二十年)を中心とする転向の状況
○明治の初めに福沢諭吉が日本に「民間公共」の観念及び制度がない点を注意した
ことがあった。(「帝室論」)(略)「民間公共」の考え方がないこと、従って国家実定法主義にならざるをえない。P267
○戦後的な自然状態の中から社会契約の結成へと向かう一歩が踏み出されていた。⦅略)その後の民主化運動において自発的集団が群生する過程を通じてようやくかなり一般化してきた社会契約的思考p270
2 カフカ「夢・アフォリズム・詩」平凡社ライブラリー、1996年 4・11
○なによりも静謐が真に普遍的なものである。P144 [八つ折り]
○人生は絶え間なく〈そらせること〉である。それはなにからそらせるのかを、意識に上せることさえしない。P238 [断片]
○反定立(アンチテーゼ)に対する私の反感。P249
○「窓の奥に最悪のものがある。」ほかの全ては天使なみである。(下略)p309
~地獄に至る指導原理五か条―(発生順に)
◇いま詠みおえたカフカのアンソロジーに探していた言葉が見つからず、日記をぼんやりとながめていたら、答が見つかった。αβ54のp65、2020年の7月29日のノートだ。メモは下の文。
○「私は書物の標題に恍惚となるのです」カフカは言った。P70
△ヤノ―ホ「増補版 カフカとの対話 手記と追想」筑摩学芸文庫
3 日記より 3・12・水
○中国で、またたしか欧米で、太宰治「人間失格」が詠まれているそうだ。かって高校生のとき、友だちから借りた「人間失格」にショックに近い感動を受け、そのあとに「若草物語」を思い出したことを、またこれも友だちから借りた「デミアン」への感動を、思い出した。「68年」のややあとに、やはり欧米で同世代に「デミアン」が流行ったことも
思い出した。
4 ブロッキイ「私人 ノーベル賞受賞講演」群像社、1996 4・13
◇オーデンを崇拝する詩人とあって驚いた。あとがきで訳者がふれているナボコフはオーデンを批判していたが、旧ソ連生まれのブロッキイはそうではない。西欧への亡直後、オーデンのキルヒジュテッテン(オーストリア)の山荘を訪問している。 P26
○詩人とは言語が存在していくための手段なのです。あるいは、偉大な詩人オーデンが言ったように、詩人とは言語が生きるために必要な糧*なのでしょう。P33
*註 「イェイツを偲んで」の一節 加藤光也訳 p44
時間は、 勇敢で無垢な者にも / 寛容ではなく
一週間もすれば美しい肉体にも / 無関心となるが
言語を崇拝し / 言語が生きるための糧とする全ての者を許し
臆病やうぬぼれをも容赦して / 彼らの足下に敬意を捧げる (オーデン)
○ブロッキーがオーデンの死を悼んで書いた詩=「ヨーク」
小から大を引けばーつまり、人間から時間を引けば
そこに残るのは、白い背景に生前の肉体よりも
くっきりと浮かびあがる言葉・・ p60
○◎認識には3つの方法があります。第一に分析的方法、」第二に直観的方法、それに第三に聖書の預言者たちが使った、啓示の助けを借りる方法。文学の他の形式と詩との違いは、詩がこの3つの方法を同時に使うという点にあります。(略)
たった一つの言葉、たった一つの韻の助けによって、詩を書く者は、以前に誰も到達しなかったところに、そしてひょっとしたら自分が望んでいたよりも遠くに、辿りつくことができるでしょう。P35
○◎詩を書く者が詩を書くのは、なによりもまず、詩作が意識や、思考、世界感覚の巨大な加速者だからです。P35
5 「かそけきもの」白州正子、角川ソフィア文庫 4・26
○次郎の墓 五輪塔の形をした板碑 次郎 不動明王の種子(梵字)
ついでに私の墓 正子 十一面観音の種子(梵字)p235
◇「葬式無用戒名不要」の次郎にその妻正子は、墓をどう造ったか?
日本の仏教の伝統の圏内にあって好みを出している。「石見の人」鴎外と比較して
面白い。
6 「死の懺悔 或る死刑囚の遺書」古田大次郎、春秋社 4・29
○なぜ人間はもっと愛し合わぬのだろう?なぜ人間は正しく生きようと努めないのだろう?P43 三
○この眠り永わにさめずあれかしと 今日も祈りて床に入るかな。5/18 p196 十三
○樹も空も雲も空気を一様に 黙せる如き夕の静けさ。8/7 p327 二十八
7ヴィトゲンシュタイン「論理哲学論考」丘澤静也訳、光文社文庫 5・7
○2.02 対象(事柄、事物)は単純である。P9
○2.0232 ついでに言っておくと、対象に色はない。P11
○2。1 私たちは事実の像をつくる。P14
○2.1512 像は、物差しのように現実にあてがわれている。P15
○3.1 命題では考えが感覚的に知覚できるように表現されている。P20
○4.021 命題は、現実の像である。P40
○4.023 命題は事実を記述している。P41
○4.112 哲学の仕事の核心は、説明することである。P48
○5.453 論理には数というものが存在しないP89
○5.61 論理は世界を満たしている。世界の限界は論理の限界でもある。P111
○6.3 論理の外側では、すべてが偶然である。P113
〇6.4311 ◎死は人生の出来事ではない。死を人は経験することがない。P142
○6.5 謎は存在しない。
そもそも問うことができるなら、その問いには答えることもできる。P144
○6.522 ただし、口に出せないものは存在している。
○7 ◎語ることのできないことについては、沈黙するしかない。 結語 p146
8「オペラをつくる」 武満徹 /大江健三郎、岩波新書、1990 5・11
○武満 僕は自分自身アナーキストではないかと思うp194
○大江 実は僕も自分はアナーキストじゃないかと感じてきたし、いまはもっとはっきりアナーキストになりたい。 そのヒントはショーレムとベンヤミンの若い頃の対話。「自分たちにとって一番美しい政治形態はアナーキズムかもしれない。◎アナーキズムは人間を信じるものだ。人間を信じているから支配する政府がなくてもいいと考えるのだ.」(ショーレムの回想)p195
9「オーデン詩集」深瀬基寛訳、せりか書房、1971 5・13
○ぼくらは地平的人間のほかは
誰だって買いはしないのだが
もしできることなら垂直的人間に・
敬意を惜まないことにしようではないか。 P10・扉
○わたしは、とてつもない世界の一寸法師の観察者。⒝ p24
⒝Tiny observer of enormous world.(「1929年」Ⅱ、2連)
○◎敗者に語る「歴史」の言葉は、「嗚呼アラース」までは口に出るが、
それからさきは決して歴史は助けてくれない、お赦しもさがらない。P46⒟
(「スペイン・一九三七年」)
⒟History to the defeated
May say Alas but cannot help or pardon。(「Spain 1937」最終連ラスト2行)
○はるか彼方にさ牡鹿ひとり
さびしい崖に追いつめられて
安らかな眼に海を眺めている。 ( [謎] )p100 ~ 田村隆一※
※「追いつめられた鹿は断崖から落ちる
だが 人間が断崖から落ちるためには
一篇の詩が必要だ」
という田村隆一の詩行(「新年の手紙」)を連想する。大体空んじていたが
「寒暖計の水銀の沈んだ日」というタイトルの詩の冒頭の連の3行だった。
この詩はニューヨークのアパートへ、厳寒の日、田村がオーデンを訪ねて
いった様子を詩にしたもので、タイトルの1行の表現はオーデンの「W・B・イ
ェイツをしのんで」のなかにあり、田村のこの詩への感動が、オマージュと
なっている。
〇◎悪人が地球を濶歩している。 P131 ⒡
〇⒡The injust walk the earth.(「SongⅣ」、3連最終行)
10 ◇日記より 5・11
○ 大江の小説のタイトル WHOの詩のタイトル せりか版ページ
「見るまえに跳べ」1958年 「見るまえに跳べ」p87
「狩猟で暮したわれらの先祖」 「狩猟で暮したわたしたちの先祖は」p106
「文芸」1967年→1969年
「われらの狂気を生き延びる道を 「支那のうえに夜が落ちる」p151
教えよ」「新潮」1969年2月→1969年 「われらの狂気を生き延びる
道を教えよ」p153(最終連の2つ前)
☞ 手元の「オーデン詩集」は1971年刊行だが、1954年のあとがきがあることから、大江は深瀬訳にもとづくと断定していいだろう。
11 ◎◇日記より 5・16
○藤田省三論断章のキーとなる文章は下記
19世紀の世紀末が世紀末であって、それ以後ずーっと世紀末だという説(略)それへ
の反抗および表現として出てきた芸術運動その他は全部(略)「賭け事的要素をもったも の」ブレヒトに加え、ベンヤミンもそう。
(「三つの全体主義の時代」1984年2月、『戦後精神の経験Ⅱ』)
12「栗の樹」小林秀雄、講談社文芸文庫 5・16
○◎若い頃から、経験を鼻にかけた大人の生態というものに鼻持ちがならず、老人の頑固や偏屈に、経験病の末期症状を見、これに比べれば、青年の向う見ずの方が、寧ろ狂気から遠い。 「年齢」昭25/6月 p63
○◎孔子 「中庸の徳」 p109「天下国家モ均シクス可シ、爵録モ辞ス可シ、白刃モ踏ム可シ、中庸ハ能クスベカラザルナリ」p110 「中庸」昭和27/1
◇日本語で「中庸」と訳される語が東西の古典にある。どんな文脈で、その言葉が使用されて いるか
○隠居 相当する言葉が西洋にもあるだろうか
「大隠ハ隠ル朝市ニ」 昭37/8 「還暦」 p265
13「日本の兵士と農民」H.ノーマン、全集4,岩波 5・26
○「人間はその父祖に似るよりも時代に似る」(アラビアの格言)(「クリオの顔」)p132
○クロムウェルとレヴェラーとの闘争 レヴェラーの綱領が進歩した政治的民主主義の驚くほど早期の先駆 男子の普通選挙権、議会の定期開会などp178
○「婦人の請願」1649年 1万人 軍隊内のレヴェラーの要求を支持 p179
クロムウェル 「平等化の原則だなどといったい何のためだ」→レヴェラーの壊滅へ
ッ▽[書簡]大窪源治あて 1959/1/7
○1700年ごろ、ことにフランスでユートピア思想を描いた文獻が多く出た
←→◎日本の政治思想にユートピアを表わしたものがない
☞ 作家の同時代の社会への批判が、何処かにある遠い国という背景の上に、どんなにして投影するか(ノーマン)p464-5
14 純粋理性批判 上」カント、岩波文庫 6・7
○感性Sinnlichkeitのみが我々に直観を給する。
ところが対象は悟性Vertandによって考えられる。
そして悟性から概念Begriffが生じる。P86
○総合は、構想力Einbildungskraftの所用にほかならない。構想力は我々の心の盲目的
(無意識的)ではあるが、また欠くことのできない機能である。P152
○構想力とは対象が現在していなくともこの対象を直観によって表象する能力である。ところで我々の直観は全て感性的直観であるから◎構想力は感性に属する。 P193
15「釈迢空 全歌集」岡野弘彦編、角川文庫 6・10
○◎誰びとか民を救はむ。目をとぢて 謀叛人なき世を思ふなり「家常茶飯」ラスト5首
◇大江健三郎の小説「われらの狂気を生き伸びる道を教えよ」の結末部に引用されてい
るので知った
○ 砂けぶり 大正13 6月 「日光」p582
赤んぼのしがい、
意味のない焼けがらー
つまらなかった一生を
思ひもすまい 脳味噌 p688
○ 砂けぶり 二 大正13 8月「日光」
ゝ 水死の女の印象
黒くちゝかんだ 藤の葉 。
よごれ朽って 静かな髪の毛
―あゝ そこにも こゝにも
16「大江健三郎 厳粛な綱渡り 全エッセイ集」文藝春秋社、29刷(昭和47年)6・24
「危険の感覚」
○作家にとって一番大切な、そして最も基本的な態度とは、どういう態度でしょうか、というインタヴィユアーの質問を受けたことがある。
○僕自身はこう考えている。(略)⦅ぼくという作家にとって、一番大切な、そして最も基本的な態度とは、危険の感覚をもちつづけるということです。⦆
危険の感覚という言葉にぼくはオーデンの詩集のなかで出会ったのだ。(略)オーデンはこう歌っている。
危険の感覚はうせてはならない
道はたしかに短い、また険しい。
ここから見るとだらだら坂みたいだが p430
○この詩をぼくがはじめて読んだのも、ずいぶん以前のことで、ぼくはやはり学生だった。ぼくは感動しこの詩をぼくの行動法にしようと思った。現在についてばかりでなく、過去に向かっても、ぼくは危険の感覚というフィルターをとおして、子供のころの自分をのぞきこみ、いくつかの発見をしたものだった。P430-1
17 「シジェク、革命を語る」青土社 7・6
[15 プロレタリアートの立場を具体化する]
○◎今日、もっとも貧しい人々は、働く人ではなく、失業している人、排除されて
いる人など p98
〔21 真の恋愛に対する恐怖〕
○◎我々の世界は、3世紀から4世紀にかけてのローマ帝国によく似ている。イェイツが20世紀に下した診断は正しかった。
「再臨」 1920年
{血に混濁した潮が解き放たれ、いたるところで
無垢の典礼が水に呑まれる。
最良の者たちがあらゆる信念を見失い、最悪の者らは
強烈な情熱に満ち満ちている。」
これは、今日における無気力なリベラル派と情熱的な原理主義者との分裂をみごとに描写していないでしょうか。(対訳 イェイツ詩集) p135
〔26 貧民街の政治化〕
○◎プログラムのないある種の純粋な反抗=「交換的コミュニケーション」
情報を伝えることではなく、「私たちはここにいますよ」というシグナルを送ることp163
○◎新しい解放の政治は、特定の社会的な行為者によるものではなく、様々な行為者たちを爆発的に結びつけるものとなるp166
[28 暴力的な市民的不服従]
○存在した暴力は、象徴的暴力だけ ◎通りを歩き、当局をないがしろにするp174
〔29 象徴的暴力の正当性〕
○◎権力を無視することが必要な条件においては、それを試みることは人々の権利である→組織的に権力を無視するという点でとてつもない力をもっているp181
[34 不可能なことは起こる]
○◎「あらゆることは可能である」ではなく「不可能なことは起こる」(ラカン)
○一つの答え
◎「現実主義者たれ、不可能なことを求めよ」結語:68年5月のモットー
◇『壁は語る』をふりかえると、中ほどに次のように載っている。
◎「現実主義者であれ。不可能事を要求せよ。」と。 7・9