ホラティウス頌
「詩の最も崇高な仕事は感覚をもたない事物に感覚と情念を与えることである」
( G.ヴィーコ 「新しい学」)
1 序言
ヨーロッパの古典といわれる作品を読んでいるとローマの詩人ホラティウス(前
65~前8)の詩の引用に出会うことが多い。ルネサンス以前から「ホラティウスの
時代」という時代を画し、ルネサンス期には、古典文学の規範として「崇められた」
ホラティウスの多くの詩の引用に出会うのは当たり前かもしれないが、どうも気に
なる。
そこで、ホラティウスの詩が、著作の展開の上で、大切な役割を果たしている
と考えられる例をいくつか取り上げ、作者がどうしてホラティウスの作品のこの
部分を著作のその部分に引用したのか、考えつつ、論じてみた。
ホラティウスは、4冊の詩集を発表している。順に「諷刺詩」、「エポドン」、
「歌集(カルミナ)」、「書簡詩」で、それぞれの詩集がいくつかの巻に分かたれ
る場合が多い。大切なことは、ホラティウスのどの詩も特定の人物に献じられてい
る、という特色である。とはいえ、この形式がローマ時代のこの時期の詩作品の共
通の約束だったわけではない。
著作における引用は。詩の一つの連がそのまま引用されているわけではなく、限
られた部分である。その部分がホラティウスのどの詩集の、どの作品のどの部分に
あるかは、図書館で容易に予約閲覧できる唯一といえる訳詩集「ホラティウス全
集」(鈴木一郎訳、玉川大学出版部)で探し、そこからの引用は斜字で示した。
2-1 カントの場合
啓蒙の標語は、「あえて賢くあれ! Sapere aude!」[自分自身の悟性
を用いる勇気をもて!」である。[英字は原文もラテン語]
(カント「啓蒙とは何か 「啓蒙とは何か?」という問いへの答え」
1785年 冒頭の節、「カント全集14 歴史哲学論集」岩波)
2-2
短い論考の冒頭に、ホラティウスの「書簡詩」Ⅰ・2、ロリウス・マクスィ
ムス宛の「ホメロス讃歌 節制の勧め」と題された詩[前24-20の作]の中
ほどから、原文のまま、二語だけを引用している。引用された部分がある連と
その前の連を以下にまず紹介する。
眼が痛くなれば、すぐ塵は
取り除こうとするくせに、
心の中に宿るものは
それをたださず、何年も
放っておくのはなぜですか。
はじめて見れば、半分は
済んだと同じことなのです。
さあ、はじめなさい。君もまた
賢者の一人におなりなさい。
まともに生きるその時を
先に延ばしている人は、
川の流れが尽きるのを
じっと見ている農夫です。
川は渦巻き流れ去り
何時までたっても相変わらず
流れ続けることでしょう。(太字は引用相当部分)
カントは、ホラティウスの上記の詩から、「Sapere aude!」※(「賢く生きよ!」)
の2語だけを引用している。従ってカントの引用の狙いは明瞭である。
引用された行に先立つ3行、つまり〈はじめなさい〉の部分も、「出だしがよけ
れば半ばできたも同じ」という格言が、既にギリシア時代か流布していたように大
切だが、カントの引用は、直接には、その部分を含んではいない。
仮に含んでいたら、〈はじめる〉という行為の決定的な大切さを繰り返し説き、
カントの政治哲学、とりわけ「判断力批判」を手元に、自らの政治哲学を構想したハ
ンナ・アレントとホラティウス~カントが、もっと直接に結びつくところだったの
に、と惜しまれる。
※ この引用句は、1736年にライプニッツとヴォルフの広めるために設立された「真理愛好者協会」のモットーであり、メタルにも刻まれている。(訳注:福田)
2-3
カントは、「啓蒙とは何か?」という問いに答えたこの短い論文の冒頭で、啓
蒙とは「未成年状態から脱け出ること」と先ず定義している。脱け出るためには、
勇気をもって自らの先入観と決別することだ。換言すれば、他人の指導なしに
〈自分で考える〉(カントが好んで用いた言葉)ことだ.これが「賢さ」である。
これはドイツ啓蒙の中心的理念であるという。(解説:福田喜一郎>
一方ホラティウスにとっては、(賢さ)は、この詩の副題となっている「節制」
と必然的に結びつく。さらに、題に「ホメロス讃歌」とあるように、たとえば下
の引用のように、オデュッセウスの「英知」をホメロスを引用しつつ讃えている。
( これに反して、)ホメロスは
道に叶った行いや
英知の力は何なのかを、
オデュッセウスを例にとり
よく我々に示している。
「啓蒙とは何か」が公表された1784年はフランス革命の5年前、アメリカの
独立戦争は既に始まっていた。「啓蒙専制君主」の代表といわれるフリードリヒ
大王の統治の終わる2年前である。「啓蒙」というドイツ語はaufklarer(空が
晴れる)という再帰動詞を語源とする、という。語源は同一でもドイツ的な啓蒙
は未成年状態から自分で考えて独立する、という定義の面でも、「悟性」との
一義的な結ぶつきという点でも特色があり、またこの論文で繰り返される「君た
ちは何についても好きなだけ議論してよい。ただし服従せよ!」という警句には
違和感を感じる。それでも、「啓蒙」が政治的実践の場で試され、全ヨーロッパ
へ、そして世界へ拡大したまさに同時代の、画期的な著作であることは疑いを入れ
ない。
約1800年のときを経て。ホラティウスの書簡詩Ⅱ・1「ホメロス讃歌」の中の詩
句「Sapere aude!」(「賢く生きよ!」)は、こんな舞台に立ち現われ、詩中に
歌われているオデュッセウスの「英知」が、啓蒙=未成年状態からの独立、をあと
押しするのである。
以上で、カントの場合、を終わる。引用した著作家の生きた年代順とも、その
その逆順ともかかわりなく、論を進めたことは、後続をお読み頂ければ、分かって
頂けると思う。