「りょうは1番大切な人だけど、まだ好きって気持ちにはなれないの」


その頃の僕にとってはそれで十分だった。


彼女に必要とされ、彼女の力になることが出来れば。


反対に僕は彼女に「僕には君が必要なんだ」という気持ちを、伝えられた事があっただろうか?


今すぐ会いたいとか、そんな風に言った事はなかった気がする。どうだろ。

なんだか恋人同士ではなく、僕自身は父親のようになっていき。彼女との間に、同じストーリーが何度も繰り返され。

勝手に1人で無力さを感じて、どちらともなく切り出した会話の中で僕たちは別れる事になった。


『今の彼女には、近くにいてあげられる、僕よりもっと支えになってくれる人がいるはず』とか、『彼女を支えられるように、20歳までにもっと強い男になる』とか、そんな風に納得して別れた気がする。

なによりまだ僕のことを好きで無いのであれば、好きになる前に別れた方が良い気がした。


それからは友人としてお互いに連絡をとっていた。そして数年が過ぎ、僕が19歳で彼女が20歳の時に、彼女は自殺してしまった。


いま改めて思い返してみると、『今はまだその時じゃない』とか『これが出来るようになったら』とか、いままでそんな事ばかりしていた気がする。


彼女が死んでしまって、なんだかすごくすごく身体から力が抜けてしまった。

色んな価値観が壊れてしまった。いまのJWがどの様に自殺を説明しているかは、わからないけれど、当時の僕は聖書の考えに基づいて、自殺は罪であると認識していた。

でもあんなに苦しんで悩んで、なんとか生きようとした人に対し、理解がない様に感じた。


大学に入り、色んな事が聖書から学んだ事では対応できないと感じ、グラついていた僕の神に対する信仰に、彼女の死は決定的な一押しを加えた。

そうすると、世界をどうみたらいいかわからなくなってしまった。

それまでは全てが説明可能だった。

罪があること。死があること。人生の目的。

基準となるものがなくなってしまった。


彼女が亡くなってから、もう16年経った(初めて会った時の、あの子の年齢と一緒だ)。

その間に色々なことを学び、経験して、色んな角度から、物事を見れる様になった気がする。

目の前の風景が、どんどんどんどん変わっていくから、どれだけ遠くに自分は来たんだろう?とふと、後ろを振り返ってみるのだけれど、いつも同じ風景が広がっている。

あの時、僕はどうするべきだったんだろう?という答えを探して、けれど同じ間違いを繰り返している。