この少女ともうひとつ、私の頭から離れなかった事件がある。



「ソンミ村事件」
ベトナム戦争の最中の、辛すぎる事件。

なぜ私は、この2つの事件から目が話せなかったのか、考えた。
この事件の詳細を、憑かれたように調べた。
何度も何度も見て、涙した。

改めて動画にしてみて、ふと思った。
私、自分を罰しようとしていた…?

自分に起こった性暴力。
あまりにも幼すぎて、何をされたか分かってなかった。
大人になり。
その性暴力が、とても酷く、卑劣で、ウツに追い込まれる程だと、頭では理解した。

頭では理解したが、やはりどこかで、他人事だと思う自分がいる。
幼い自分が耐えたあのことを、大人の私は自分の問題だと思っていないのだ。
幼い自分に全てを押し付け、逃げている。

そこには、偏見もある。
あんなことをされるなんて、される人間が悪い。
性被害にあう人間は、被害が火がだけに、差別されて当たり前。
汚い人間。

自分を否定している。
耐え抜いた幼い私を、汚いものを見るよう、思っている。

それは、私の中の“良識”なのかもしれない。
世間と迎合するような。

どこまでも自分を貶める自分。
無意識に。
そんな自分を罰しようとしていたのかもしれない。