昔の時代の手話通訳 | 耳鼻科医として、ときどき小児科医として

耳鼻科医として、ときどき小児科医として

以前にアメブロで書いていましたが、一時移籍し、再度ここに復活しました。専門の耳鼻咽喉科医としての記事を中心に、ときにサブスペシャリティな小児科診療のこともときに書いていきます。

自分が手話を学びはじめたのは、高校生2年生のときです。入門レベルが終わったころには、もう地元で手話通訳派遣を受けていました。技術などなにもないのですが、「いないよりまし」と言われて、ときおり派遣されていました。

 

手話通訳で嫌な思いをしたのはいくつもありますが、一番嫌だったのは、ろう者の結婚挨拶の手話通訳です。ろう者通しの結婚で、その親に結婚のあいさつに行きたいと言うのです。しかし、その片親が大反対なのです。二人は結婚したいのでしょうが、その親はまったく許したくない。行ったそうそうから、「早く帰れ」と言われてしまいました。手話通訳を連れてくるのも嫌なんだと言われて、第三者の自分も立つ瀬がないんですね。依頼された以上はきちっと通訳しなければならないのですけど、よくは思われていない通訳だったので。

 

映画の話にもどりますが、電車の中で聞こえる息子と、聞こえない母親が手話で会話をするシーンがあります。ろうの母親が、「みんなが見ているところで手話で会話してもらってうれしかった」というわけです。人前で手話をするのは恥ずかしい。息子もそう思っていると思って、母親も遠慮していたのでしょう。ところが、平気で手話を使って会話をする息子をみて、恥ずかしいと思っていないと気づいたのです。

 

人前で手話をしてはいけません。昔はそういう時代でした。