風邪と覚悟と憧れの人 | 魔法使いケーキ屋のパティシエ一家とカフェ

魔法使いケーキ屋のパティシエ一家とカフェ

生の松原で25年間ソルシエール(ケーキ屋)を営んできたパテシエが経営する「ソルシエールカフェ」です。
隣のソルシエールのケーキは勿論、麻炭を塗ったゆったりとした空間で湧き水のようなお冷、水素水で洗った野菜のランチなどもお楽しみ頂けます。


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こんにちは、代表の上田公子です。

先日から7年ぶりくらいに風邪をひきまして、熱が38度でましたが、仕事をしておりました。

私が熱を出したハードな思い出は2つあります。

一つは、隣のパティスリーソルシエールの3代目シェフ(次男)が5歳の頃クリスマスに熱をだしまして、それで保育園を休むと言ったのですが、その時ちょうどクリスマス会がありまして、

次男は縦保育(3歳児~5歳児一緒のクラス)の保育園でしたので、5歳児の息子はリーダーでクリスマス劇をしていたので、先生から「武君に休まれたら他の子が動けないんです」とかなり強く頼まれ、息子に聞くとけなげに「行く」というので、行かせました。

終わって帰ってきたら40度になり寝込んでしまったのですが・・。

息子は夜中に吐くし私は看病で寝れずに、ましてクリスマスで忙しいし、私が風邪をひいて熱を出してしまい、クリスマスに突入しました。

耳下腺のリンパがパンパンに腫れて、それでも動いてとてもきつかった、です。

しかし無事に息子も元気になり、私も無事にクリスマスは終わりました、はぁはぁ。


もうひとつは、大好きな母が膝が痛かったのですが、鹿児島の和気神社というところがありそこに行ったら足が痛くなくなったから、お礼参りに行くというのです。

それでそこは守り神が「猪」で白い猪がいたのですが、私も母も猪年ですし一緒に行こうということになり、その日に私は熱を出していたのでした。

下がるかなあと思っていたらますます熱があがり、私は迷ったのですが母がとても楽しみにしていたので、覚悟をして行きました。

高千穂なども行ったのですが、寒くて寒くてゾクゾクして死にそうでした。

最後には口がきけなくなりました。

そんな時、不思議なことが起こり熱が下がりました。

その不思議なことは悩みましたが書きます。

とても田舎の古い旅館でせんべい布団で「うわ、これは寝れない~。寒そう」と思い、ホッカイロを買いに行きたくても店がない、旅館にも置いてないと言われ、今日は寝れないと覚悟をしました。

いつも「覚悟」です。

すると、夜中中、シャリン~シャリン~って涼やかな音がするんです。

あの神社での鈴の音です、私はポカポカ、ふわふわしてきてウトウトずっとしてました、とっても気持ちよかったんです。

朝になり母が私のおでこに手をあて「熱下がったね、眠れた?」と聞くので、「シャリ~ン、シャリ~ン、部屋中になってたけど聞こえた?」と聞くと「聞こえた」と言っていました。

母も私も弟もですが、家系です、色々感じます。

(全員スプーン曲げができます)

私は神様に好かれていると思っていまして、よく不思議な良いことが起こるので、「また守ってもらった」と感謝しました。


おまけに思い出しましたが、また隣のパティスリーソルシエールのシェフ(次男)ですが、17歳の頃、マックにバイトに行っていました。

バイトは大事と思います、お金をもらいながら社会勉強になるし、17歳になったら携帯代くらい自分で払ってと私が言ったので行っていました。

そして息子はマックで高校生なので、大学生より時給が安く、大学生より仕事ができるのに高校生だから時給が安い、とぼやいていました。

ちなみに当店カフェは、年齢に関係なく能力給としております。

息子は仕事ができたらしく、いろんなところを任せられていたようでした。

ある時、熱を出したので「休む?」と聞いたら「今日はオープンを任されたので店長が10時からしか来ない、俺とあと一人バイトが9時から10時までオープンの用意をするから、どうしよう?」と言いました。

私は雇い主なので、雇い主の気持ちがよく分かります。

その時私が「オープンにいないと困るだろうから店長が来たら帰ってきたら?それまでしてくる?」と聞いたら「行ってくる」と言ってバイトにいきました。

そして日曜でマックはとても忙しく息子が帰ってきたのは夕方でした。

そしてまた高熱になりました。

どうして私たち親子はこうなのでしょう??

保育園の頃も、私はどうする?と聞いたら息子は「行く」と、さすがに私も幼い息子を心配して「大丈夫?」と聞いたら「行く」と言いました。

だから、フランスに言葉も知らずに2年間、誰のコネもなく行けたのでしょう。

フランスで働いた2年間は、もちろん風邪をひいて熱がでたこともあったようですが、私は連絡がなかったし知りません。

「頑張る親子」

そこまでも頑張らなくてもよかったよねと、最近は思います。。

でもマックの店長はその後とても息子を可愛がってくださいましたし、私は母から感謝をされました、というか呆れていました。

「根性」「やる気」「気合」「覚悟」しかないと、特に商売はそうだと思ってやってきました。

25年間私たちがケーキ屋をしていて、休んだのは親が亡くなった時だけでした。

風邪だの熱だのでは、休んだことはなかったですね、今は休みたいです。

今まで、熱がでてもゆっくりしたことはなかったので、今回の熱は仕事していましたが、クリスマスの忙しさでもなく、冬の外に出たわけでもなく、そんなにきつくはなかったです。

そして、最近は熱もだせない体力でしたから、熱をだして菌を殺すことができるようになった、と嬉しかったです。

熱が出た後は、泳いだ後のような気だるさがありますね。

なんとも気持ちがいいというか、そして熱があるときはぞくぞくする、そんな体験は久しぶりでした。

ヒーリングをやっていたセラピスト時代には人の熱を下げたりしていたので、自分にもできてましたし、熱がなくてただ起きれない、みたいな妙なことが起きていました。

何と言いますか、きつくて起きれないんです。

同じセラピスト仲間にもいましたが、これはヒーリングをしてあるセラピストの皆さんは、体験済みかと思いますが、とにかく起きれない、スカスカ眠るだけ、そんな日が続いたことがありました。

そんな時、夫などから「いつまで寝てるの?」と言われますが、だって熱もないのに、風邪の症状もないから、そうですよね。

でも起きれないんです。

今はわかります、エネルギーです。

子供もそうですよね、いつまでもベッドから出てこない、きっと理由があると思います。

だって元気だったらベッドでじっとしてなんか居れませんもん。

インフルエンザにかかると高熱で体にあるすべてのがん細胞を消すと言いますね。

人はみな、インフルエンザにかかってしまったと不運になったように言うので、インフルエンザにかかった人に「よかったですね」とは思っても言わないですが、そうですね、それは最近はお医者さんが言ってありますね。

ケーキ屋さんもカフェもお医者さんも色々ですから、そんなことを言わないお医者さんもたくさんおられます。

インフルエンザの注射をうつとお金が入るから、注射をうつ、ですね。

まして患者さんが「インフルエンザの注射を打ってほしい」というとまず断るお医者さんがいるのか?

いたら私はそこにかかりたい、そう思います。

私の弟は、久留米市寺町のお寺の僧侶でしたが、8年前に亡くなりました。



これは弟の本ですが(自費出版ではないです)易部門でアマゾンで1位になったことがありました。

テレビなどにも出ていましたし、シーホークの選手などの鑑定もしておりました。

講演会や大学の講師をしていたので、「先生」などと言われていました。

弟はいつも仕事柄「地球論、宗教論」を言っていました。

私はいつも「宇宙論」でしたから、よくぶつかっていました。

でも病気は宇宙からのメッセージなのよ、生き方、考え方の間違いなのよとずっという私に、

最後には「わかった気がする、いつのまに姉ちゃんはそうなったの?姉ちゃんは凄いね」と言って亡くなりました。

私がヒーリングをしていたので、なんか変な宗教だと思って実家に来るなと、母と弟から言われたこともありました。

泣いたこともありました。

悲しかった、どうして外からみてそんなに言うの、全部わかってから言ってほしい、私が何をやっているのか見てほしい。

私は人からとても感謝されて「上田さんのおかげで私がいます、足を向けて寝れません」とかたくさんの人にお礼を言われていました。

でも母たちはわかってくれなかった、でもなぜか私はやめられなかった、自分でもわかりませんでした。



セラピスト時代、講師もしたことがありました、ボードに書いている後ろ姿が私です。


最後は弟と母は理解してくれて、そして弟と母は亡くなりましたが、とても私のヒーリングは役に立ちました。

私は大好きな2人の苦しむ顏は見てないんです。

それは私にとってなによりの幸せでした。

そして今になり私は「弟と母のため」にヒーリングを始めたんだとわかりました。


ある時、末期がんの弟から「心配しなくていいです、インフルエンザの予防注射を打ちましたから」とメールが来て、私は「なにしてるの?!」って叫びました。

マスター(夫)はそんな私を見てびっくりして「弟は良かれと思って注射をうったのだから、あまり強く言わないようにね」と心配してくれ、私は深呼吸をして電話をしました。

弟は「在宅医に頼んで予防注射をうってもらったから安心して、風邪にかかったら大変だから」と言いました。

母も同じでした、「何をそんなに怒っているの?」と私に言いました。

結果、1週間ほどしてでしょうか、体調が激変しました。

車いすでしたが、今度は呼吸も苦しくなり起きれなくなりました。

あとから「無知すぎた」と言っていました。

セラピスト仲間に女医さんも数人おられました。

医者はそういう風に習うから、それしかできないんです、でも病気は治らない、だから私はセラピストになりましたという女医さん数人知っています。

その彼女たちに聞くと「そんな在宅医がいるんですね」と言いました。

私はちょっと許せないとチラと思いましたが、それもすべては弟なので、仕方がないと思いました。

「運命は変えられるけど、ある一定のところまで行くともう設定変更ができない」と聞いたことがあります。

そうですね、運命は変えれるときがありますね。

変えられるものを変えれる行動(努力)と、変えられないものを認める(努力)ですね。

変えれるものと変えれないものがあります。

今は、「言葉で病気を治す」これでどんどん病気が治っていますね。

心理技術アドバイザー 神経科学研究家、トランスフォーメショナル・コーチの梯 谷 幸 司さんが書いてある

「偽りの自分からの脱出」という本がありますが、アマゾンで売っています。

これを読んで人生が変わる人がいるでしょう、難病や癌が言葉でどんどん治り、素晴らしいなあと思います。

私は10年間セラピストをして、この本に書いてあることが経験して知っていたので、こんな本が世の中に出てきてよかったなあと思います。

「見えないもの」を見えるものとして扱い、脳を操作して論理化して現象化する、素晴らしいと思います。

もっとこの本に早く出会いたかった、弟が生きているうちに出会いたかった、でも今なのですね、と思います。

それで、私が先日から大阪から帰ってきたら、夫も風邪をひいてまして(いつも一緒にステージアップするなあと私は思っていますが)

いつものように夫は大好きなジャズを聴きに行ったら治ってしまいました。

私はきっと出かけたら治って帰ってくると思っていましたが、案の定、夫も「ジャズを聴きに行ったら治った」と言っていました。

そうです、楽しいことをするとエネルギーがでて治りますね。

弟はお寺の住職だし、仕事がたくさんあったし、そして真面目で頑固でしたからストレスはたくさんあったと思います。

「病は気から」と言いますが、ストレスですね。

私は色んな所に行き、色々なリーダーの人と接して凄いなあ~と思う人のところでお手伝いをしましたが、最近「凄いな~」と思う人がいなくなりました。

仕事ができてさりげなく気遣いができて優しいカッコいい50歳になりたいと、目標を見つけて生きてきました。

今の目標は「仕事ができて自分の体も大事にして、さりげなく気遣いができてカッコいい60歳になること」です。

その目標となる人が最近いないので、自分が素敵な人だと思う人になればいいんだと思うようになったのですが。

目標がみつかりました。

それは誰かというと、なんと「マスター(夫)」でした。

自分でもびっくりですが、家族もびっくりしています(笑)

マスターは、ちょっとカフェの手伝いをして、ここがみそです。

好きなジャズを聴きに行きたまに飲みに行き、楽しそうにチャリに乗りベンツに乗り、たまに友達のところに泊まってきます。

どこでもぐっすり寝て、ちょっと食べたいものを食べて好きにしています。

「わ~~、私もそうなりたい~~」と気が付きました。

私は神経質なところがあるのでどこででも寝れないし、人の事を考えない鈍感な夫はいいなあと思っていたのですが、今は夫が憧れです。

そうなります、楽しそうです。


ちなみに3代目次男がフランスにいる時に、弟は亡くなりました。

次男は「帰ってきたら兄ちゃんがおらんかった、だから人生は何が起こるかわからん」と言います。

私はフランスで一人で頑張っている息子に弟の死は知らせなかったのです。

次男は泣いていましたが、お礼を言われました「知っていたら一人でフランスで仕事しきらんかったかもしれん、知らせてくれなくて助かった」と。

そうですね、フランスからお葬式に帰ってくるのもコクだと私は判断しました、それで家族に次男には知らせないで、と言いました。

そのころ、これまた2代目長男は大阪にいまして、年の暮れにお葬式だったのですが、母が「知らせなくていい、仕事忙しいんだから、お正月に帰ってくるならその時お参りしてもらったいい」とお葬式は知らせませんでした。

長男から電話がかかってきたときに、弟のお葬式はもう終わっていて檀家の皆さんと慰霊の前にいましたが、

長男が「兄ちゃん(私の弟のこと)はまだ具合はよくない?おばあちゃんに代わって」という長男に母が変わり「うん、とにかくお正月気を付けて帰っておいで」と言う母。

そこにいた檀家さんたちが皆その電話を聞いて泣いていました。

今考えるとドラマのようです。

気丈なお寺の奥様だった母と私は、その時は泣いていませんでした。

そして、お正月に帰ってきた時、長男は大阪から実家に直接帰ってきたのですが、「兄ちゃんは?(私の弟のこと)」というと母が仏間にいると言い

「あれ、兄ちゃんは2階じゃないの?」と言いながら仏間に行き、そこから30~40分出てきませんでした。

慰霊が置いてあったし、自分なりに整理をして泣かずに仏間から出てきました。

まあ、こんなケーキ屋さん一家です。




マスターと2代目と3代目一緒にお仕事。




左がパティスリーソルシエール、右がソルシエールカフェ。




夜のソルシエールカフェ。




私が撮る写真はいつもこんな光が映ります。





人生は色々ありますね、そして時はこれからも流れていきますね。

長くなりました、いつもこのような文を読んでくださってメール頂いたり、恐縮しております。

では、空間が清涼感で満たされているカフェでお待ちしております。


ソルシエールカフェ