「別にDaiGoさんを擁護する目的とかではなくて、そもそも論として、DaiGoさんが良くないと言っている人たちも、DaiGoさんと同じような思想を持っているじゃないですか。ああいう考えは良くないっていうのであれば『生活保護を取り放題にしたら?』とか『ベーシックインカム導入したら?』って(訴えていくべきだと)思うんですよね」
=====
論破王として名を馳せるひろゆきはこれでDaiGoに対する批判をかわそうとして援護射撃をしていますね。ではそのひろゆきを論破します。まあ我ながらヒマだと思うのですが、屁理屈をこねくり回して正道を歪めていい気になっている人の矛盾を暴くことは結構好きなもんで。
そもそも論を言うのであれば、そもそもひろゆきはDaiGo発言の問題点について理解できていないということです。
この「みんなだって同じことを考えている。」というのを持ち出す人は結構いるのですが、同じ思想を持っていてもそれを公にすることは全く異なりますしそのときに人間性が関係するのです。さらに言うならばDaiGoは自分の発言が全く正しいという思いで発言しているから確信犯なのです。
(注:確信犯とは自分として言うことが間違っていると分かっていながら罪を犯すことを言うのではなく、自分の言行が全く正しいと思ってすることです。厳密に言うと、悪いと思って他人の金をくすねるのは確信半ではなく、思想犯やテロリストなどはこれに属します。オウムでいうなら新実智光は最後までそうですね。)
たとえば男性が女性を見て良からぬ感情を抱くのはたいていの場合身に覚えがあることです。ではその考えを抱くのと、それを影響のある人間が公に発するのとはけた違いに異なるのです。たとえば女優やアイドルを「レイプしたい」という言葉を発し、丁度DaiGoがホームレスは生活保護受給者の人権を考慮しない発信したように、女性の人権を考慮せず欲望の対象として追随者に同意を求めるようなことを言えば許されるでしょうか。
お金を持っている人を羨ましく思うのは誰でもあるでしょうが、誰かが「大金持ちから金を奪うのは貧しい人の権利だ」と言って強盗を正当化するような言動をするならばそれは許されるのでしょうか。
抱樸の理事長は次のように述べています。
=====
今回のDaiGo氏の発言は、命の尊厳そのものに対する否定であり、到底容認できるものではありません。また、この発言がさらなる偏見や差別、社会的排除、ついにはヘイトスピーチ、憎悪犯罪につながる恐れさえあるものだと危惧しています。
実際に、2016年の相模原事件や昨年の渋谷バス停でのホームレス状態にあった女性の殺害など「意味のない命」があるかのごとく主張し、命を抹殺する事態がすでに横行していることも事実です。「役に立たない」と烙印を押され、分断され、命さえ奪われる。私たちは、現にそのような社会に生きています。
今回のDaiGo氏の発言は、まさに「差別扇動」であったと思います。このように命を分断し、排除する言動に対して私たちは無関心でいることは出来ません。はっきりと「それは間違いである」という声を上げます。
========
DaiGoはカリスマ的存在ですし、世の中バカが多いのでそういう言葉の影響力を受ける人が出てくることはひろゆきの脳裏には浮かばないのです。この点ずっと指摘しているようにひろゆきは人の気持ちに寄り添えないのです。ひろゆきは自らのサイコパス性を自爆的に暴露しているのです。
ひろゆきはDaiGoを批判する人は同じ思想を持っていると言いますが、その思想なるものが「ホームレスを避けたいという気持ち」でとどまるか、「ホームレスを避けたいので殺しても問題ない」という意味合いまで含んだ思想なのかで異なります。多くの人は確かに「ホームレスを避けたい」という気持ちを持っているかもしれませんが、その人たちを「殺しても良い」という思想までは持っていません。しかしDaiGoはそれを含めて排他思考を表明したのです。それがDaiGoの思想なのです。いうなればDaiGoは多くの人が持つ負の感情を実行に移す起爆剤のような力を持っているのです。従ってDaiGoを批判する人がDaiGoと同じ思想を抱いているというひろゆきの意見は完全に場合分けができない思考であり、それは全否定思考によるものです。ひろゆきの理屈の間違いはそこにあるのです。
この全否定思考もまたサイコパスの特徴だと言えるでしょう。民族浄化、ジェノサイドはそういう全否定思考に基づくものです。従って本当の問題点はサイコパス思考を実行に移すように促す言動が許されるかどうかです。ひろゆきはそれがわかっていません。
