小山田圭吾が世間をなめ切っているのは、謝罪も辞意表明もツイッターであること | 世の中とかなんやかんやに対する感想

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できるだけ俯瞰して世の中のことについて書いてみたいと思いますね。

ツイッターというのは元々「つぶやき」の意味です。

 

つまり謝罪も辞意も「つぶやき」にしかすぎません。

 

ぶつぶつ謝罪し、ぶつぶつやめると言ったのです。

 

小山田圭吾はきちんとした記者会見もできないのです。佐々木宏も森喜朗もしました。否定したとはいえエンブレム盗用疑惑の佐野研二郎もしました。

 

その誰とも比べ物にならないほどの罪を犯した小山田は記者会見をしません。「つぶやいた」だけです。

 

イジメ主犯にありがちなチキンですね。まったく謝罪の気持ちなどないのでしょう。あればとっくにすましているでしょうし。

 

50も過ぎたいい年こいたオッサンが、その年齢に応じて備えているべき礼儀も社会的認識も欠落しているのです。詫びの入れ方すら知らないのです。中身は厨房のままです。いったいどこが高谷SPが口にした「高い倫理観を持っている」というのでしょう。高谷SPも良識と常識に欠けていることを示しています。

 

ツイッターでの謝罪と辞意表明など世間をなめ切っています。

 

本当に謝罪の気持ちがあるならな会見を開くべきですが、そんなこともしない小山田の「謝罪」を受け入れた武藤、高谷は倫理感覚が喪失しています。「甘かった」のでなく「悪かった」のです。

 

ギャラはどうなっているのでしょうか。返上するのでしょうか。もししないなら「ぼったくりクリエイター」ですね。