エホバの証人が爆発的に増加した1970年~1990年の平均寿命は男性が69歳から、75歳、女性は75歳から82歳でした。
このことが何を意味しているか考えたことがあるでしょうか。
1970年は戦後まだ25年です。戦争で親兄弟をなくした人たちはまだ現役労働者でした。またこの時期癌の宣告を患者にするかしないかは、社会的に大きな課題となりました。ガンは死刑宣告と同じだったくらいに不治の病でした。ガンを宣告されて残りの人生を自暴自棄に過ごし死期を早めた人もいます。また生きる気力を失った人もいます。それゆえガンであることを当人に告げることを隠す家族も大勢いたのです。
交通戦争では毎年1万人を超える人がなくなりました。その他テロや事件に巻き込まれたり、安全に対する意識が少なく職場で不慮の事故で愛する人を失うことも今に比べればはるかに多かったのです。いまだに裁判が続くアスベストにしても、当時の建設現場では普通に使われていたのです。四大公害病で亡くなる人も多かったのです。
分かりますか?
多くの人は自分の愛する人の理不尽な死を受け入れられなかったのです。平均寿命が70歳代というのはボケる前に亡くなった親を持つ人は多かったのです。今は認知症になり家族の厄介者扱いされるまで寿命が延びる人もいます。「もうそろそろ死んでくれないかな」と思う家族すらいます。さらに毒親と呼ばれる親の死は子供にとってせいせいすることもあるでしょう。
しかし昔の親は貧しい中でも大勢の家族を養い、特に戦時下で苦しい思いをしながらも子育てを必死でしてきた親の姿を子供は記憶しています。戦前の教育を全否定する人もいますが、親子の愛情は今よりずっとあるべき姿でした。ですから親ともう一度会いたいと思う人も大勢いました。
創造を信じた人にとって、復活の希望は現実的なものになります。一度人間を作ることができるなら、もう一度作ることができる能力を持っているからです。
そこで聖書の言葉はガンガン心に沁みとおりました。特にキリストが行なった復活の奇跡は、もしそれが真実ならばこれほど素晴らしいものはありません。ラザロの復活などはその最たるものですが、旧約聖書でもエリヤは復活の奇跡を行っています。復活は聖書全体に流れる希望です。
私がエホバの証人になったころは「もし楽園がくるならだれに復活してほしいと思いますか。」という会話がよくなされていました。たいていの人は失った肉親の名を挙げました。中には聖書中の人物の名を挙げる人もいましたが、大半の人は愛する人の名前です。そしてその亡くなられた方がどういう方であったかを話されます。そうすることで互いを思いやる絆を強めました。
愛する人に再会できる希望は、他の艱難辛苦などいかほどのものかという思いに繋がります。我が子を救うためには自分の命を捧げても良いという親は一般的に普通ですが、それはどんな犠牲もいとわないというものです。同じような気持ちを復活の希望を信じる人たちは持っていました。だからこそ組織の制約に応じたのです。
残念ながら、極めて残念ながらこの我が子を救いたいという思いは普通の親と変わらないのに、そのために鞭をしなければならないと思い込んだ親が多数いたがゆえに、激しい体罰を受けた子供は親を憎むようになりました。これはもう日本支部の指針が完全に間違っていたことを示しています。でもそういう親の中には子供に憎まれてもいい、ハルマゲドンが来た時に子供はきっと感謝すると思っていた人もいました。
鈴木大君の父親を、子供を虐待死させた親と同列においたり、鬼畜呼ばわりする元エホバの証人長老もいますが、彼らは本当に復活を信じてはいなかったからそういう事を言えるのです。よくそんな料簡で長老をしていたなとその思考の能力と人間愛の欠如ぶりに驚くばかりです。まあこれも年若いころからちやほやして中身のない人間に特権を与え、自己愛に満ち満ちた人間を大量生産した結果といえなくものないですね。
真に鬼畜なのは大きな犠牲を払った親に感情移入することなくそういう自己愛の塊と化した人間であることに気が付いていないのです。長老なのに輸血を拒否した親を鬼畜というのはどう考えても矛盾しているのですけどね。己が現役長老なら輸血を施した親を排斥にしたことでしょう。
今はどうなのでしょうか。少なくとも2世3世で日常会話で「誰に復活してほしいか」などと言う会話をすることなどあるでしょうか。私の記憶では皆無です。2世3世の中ではだれがどういう特権を持っているかが話の中心です。またハルマゲドンの教理を叩きこまれた子供にとっては、復活の喜びよりもその前段階の滅びへの恐怖の方が先行するのかもしれません。ものみの塔日本支部の指導方針のせいですが、これでは聖書の価値など理解できないでしょうね。
