基地の外にいる人は基地の中にいる人間が基地の外にいるように見えるらしい(青字追記) | 世の中とかなんやかんやに対する感想

世の中とかなんやかんやに対する感想

できるだけ俯瞰して世の中のことについて書いてみたいと思いますね。

Aさんの記事によくコメントをする酔っぱらいさんが私に対して次のように断定しました。このヒトのプロフィールを見ると、やたら哲学書を読み、何やら悟ったかのようなつもりでいるようですが、他人の哲学書をいくら読み漁ろうとそれを消化できる頭脳がなければ意味はないのですが、同じく哲学書ファンのAさんはそれだけで共感を得るのかもしれません。

 

まず私のことを「思考停止」していると言いました。そして

(他人との関りを失うという意味で)失関症は深刻なビョーキです(^^♪。自閉症予備軍というか、引き籠りステージ1というか、SNSというたかだかバーチャルリアルな世界でさえまともな人間交際ができないような者が、現実社会で社交などできるはずがありません。そういう引き籠り予備軍は憶病というよりも、間違ったことを言うのが恐いのでしょう。常に正しいことをいうことが知性と思っているから、うっかりボロを出してお里が知れてしまうことを避ける。そうやって失関症は自閉症を経て失語症に至る。

 

ずいぶんな書きようですね。完全に病人扱いですが、プロフィールを見てもこの人は精神科医の資格はないようです。この手のタイプの人はやたら他人を「病気」にしたがり批判するのですが、それこそ御自身はどうなのでしょうか。身勝手なこの人の御性格がわかる一文があります。

 

偉い先生や知識人にかぎって「漢意」にやられやすい。知識人としての自尊心があるいは人格者としての理性が「大和心」を遠ざけるのだ。

 

まあ「大和心」があるならば、他人を病気扱いはしないでしょう。問題はこの人の論理の組み立てで、物事をそれこそ俯瞰しながら論理を組み立てることができるかどうかです。それができないならばこの人にとっての哲学書は単なる経本レベルの影響でしかなく、あまり役には立っていないでしょう。であるならばそこから導くこの人の結論「私が深刻な病気だ」ということも当てにはならないですし、そのようなことを鵜呑みにする人間もまた同等程度の知能レベルしかないでしょう。但しあらわになるのはこのような批判を平気で書くこの人間の人間性です。それだけのことを書いています。では知能レベルはどの程度でしょうか。

 

ではこの人の思考を分析します。ラグビーワールドカップがを見て、にわかファンが生まれたことを日本の病理とか書いています。ここではにわかファン全体を病気に仕立て上げています。やたら他人を病人扱いしていることが出ているのですが、その論理を整理してみます。

 

まずNHKラジオのアナウンサーの言葉に噛み付いています。

NHKラジオという阿呆な局の阿呆なパーソナリティーが、「何の分野でも俄かがいることはいいことなのです」とのたまったことに対してはひとこと文句を言いたい。

 

いきなり阿呆扱いですが、そもそも噛み付く筋合いのものではありません。

 

そして「俄か」「泡沫」であるとみなします。そして泡沫であるならば、反動として寂寥感や喪失感がそのあと襲うと論じ、戦後の日本が「俄か国家」であることの証拠だと結論付け、それを病理だと断罪します。

 

一連の論議は思考暴走というか、思考飛躍というか、思考歪曲としか言いようがありません。少し考えますと日本にサッカーが一大ブームを引き起こしたのはメキシコオリンピックで日本サッカーが銅メダルを取り、釜本選手が大活躍したのがきっかけです。釜本は、王・長嶋並みの人気を博しました。いわゆる少年のにわかファンが大量に出ました。やがてワールドカップ出場を目指しましたがいわゆる「ドーハの悲劇」があり、プロリーグが誕生したあたりでにわかファンは急増しました。Jリーグの入場券をめぐって殺人事件まで起こりました。その熱狂は日韓ワールドカップ開催で頂点に達しました。あれが日韓共同開催ではなく日本単独開催であったならその熱狂はもっと大きかったことでしょう。

 

その時も大量ににわかファンが誕生しましたが、それは一過性のもので終わったかというとそうでもないのです。「侍ジャパン」とか言ってその人気は定着しました。大会が終わったとの寂寥感はあったものに、次を目指す目標ができたからです。

 

「にわかファン」という言葉が世間で流布したのは1985年の阪神タイガースの日本一の時でした。街中では六甲おろしがそこかしこで流れ、誰でも口ずさむことができました。バース、掛布、岡田、そして真弓の打線は5点くらい負けていてもひっくりかえせると期待したものでした。アナウンサーは「次の回はバースから始まります。それだけでタイガースはチャンスです。」と紹介していました。その後彼らが消滅したかと言えばそうではなく、やがて1992年の2位、2003年の優勝とその熱狂は盛り返します。

 

古くは日本で女子バレーが人気を博したのは1964年の東京五輪での金メダル獲得であり、男子バレーが人気を得たのは1972年のミュンヘンオリンピックでの金メダルです。この時の日本男子バレーはオリンピック開始前に「ミュンヘンへの道」というテレビアニメが放映され、期待を高めました。今では常識であるクイック攻撃や時間差攻撃を編み出したのは当時の日本男子バレーです。オリンピック準決勝の対ブルガリア戦などは深夜にもかかわらず画面に食い入ってみました。

 

「俄かが増えるのは~、強いから~」なのです(チコちゃん風)

 

NHKアナウンサーが「俄かがいることはいいことなのです。」という言葉はその後の定着の土台となることを言っていたのでしょう。張本兄妹や若い女子選手の活躍で卓球をする人は増え、女子レスリングも強い選手が出てきたのですそ野が広がりました。藤井聡太棋士の出現で将棋に興味を持つ子供たちが増え、仲邑菫棋士の出現で囲碁に興味を持つ人が増え、底辺層が広がりさらなる優秀な選手が登場する可能性を含んでいます。NHKはエンターテイメントを生業とする会社ですから、当然その分野でにわかが増え、すそ野が広がり、レベルアップを期待するのはごく当たり前のことです。酔っぱらいさんはこのあたりの認識が欠けています。ですからそんなことに文句を言うのはよほど偏狭であるか、思考不足しているかでしょう。あまりにも稚拙であり、ただのクレイマーでしかないのです。まだ「エンターテイメントが日本を貶めた。」というならばそれなりの理屈は通るのですが、ただ「寂寥感」とか「喪失感」を理由に批判するのは全くもってピントはずれです。そんなものは理由にならないのです。それは「視聴率を払いたくない。」という理由で、「NHKをぶっ壊す」という考えとさほど変わらず「大和心」は見えません。

 

ラグビーワールドカップの時にバレーもワールドカップも行われていました。視聴率の低迷を分析する評論家などは、ジャニーズのショー化しているのがその原因だと言っていましたが、勘違いも甚だしいのです。日本が弱いから人気がないのです。強ければ人気が出ます。バレーの場合はもともと強かっただけにハードルが高いということです。

 

ラグビーワールドカップが大会前に盛り上がらなかったのは日本に期待されていなかったからです。ですから最初のロシア戦ではいまいちでした。爆発したのは2戦目のアイルランド戦に勝利したからです。

 

さらににわかファンが増えた最も大きな理由は、ラグビーというスポーツが日本になじみがなかったということもあります。しかしいざ始まってみると巨体で疾走する外国人を次々とタックルで仕留める姿はまるでB29を恐れることなく撃墜するゼロ戦のようなところがあり、そしてスクラムでの力強さなどの肉弾戦の迫力を初めて知ったのです。そしてチームの輪なくしては生まれないトライや、トライではなくてもPGやDGなど、様々な得点の取り方などがあることを知り、その多彩なプレーの面白さを知ったのです。

 

よく見てみればサッカーよりも面白いという人が私の周りにも多いですね。日本がワールドカップで非難を受けただらだらとしたパス回しをして時間稼ぎをするのではなく、ラグビーのパス回しは常に「前へ」を意図するものです。時間稼ぎと言えばスコットランド戦でも最終のラックなどでありましたが、FW陣必死の防衛の連続で、のんびり時間稼ぎをしたのではなく、体力と気力の限界を試していました。少しでも油断すると相手にボールを奪われ形勢は逆転するのです。そういうラグビーというスポーツの息をつかせぬ本質的な面白さを理解したことがにわかが急増した理由です。この分析をしないで「寂寥感」とか「喪失感」とか言って非難するのは面倒な人です。

 

にわかファンが急増したもう一つの理由は、選手と地元民の交流です。この点で自治体は大変努力しました。その努力を大々的に報じることで、次の招致に向けて意思表明をしました。またファン同士の交流も感動を呼びました。ラグビーというスポーツを知ったからこそです。今回のにわかファンの急増は必ずあとに残すものがあり、泡沫では終わらないでしょう。泡沫というのはこの人自身の中だけでの話です。その点での認識に差異があります。

 

さらににわかが「病理」だというのもわかりません。もともと熱しやすくて冷めやすい国民性だとも言われていますが、それが病気なんでしょうか。こうなると自分以外の個性や属性の存在をすべて「病気」だと決めつけてしまうわけで、背後にあるのは傲慢さゆえの排他的姿勢です。この方は「私は自分がいつも正しいなんて思っていない。」と言っていますが、いとも容易に他人を「病人扱い」するのは自分が一番正しいと思っているそれこそ証左です。ご自身が全く見えていません。こういうところがカルト的なんですね。

 

また戦後の日本を俄か国家と表現していますが、それはあくまでも俄か民主主義という表現にとどめるべきでしょう。皇紀2600年以上の国家です。そしてたとえ俄か民主主義であったとしても、後発が必ずしも悪いとは限らないのです。後発でも先発より優れたものであるものはいくらでもあります。むしろ俄か民主主義に乗じる勢力に焦点を当てるべきでしょう。あまりに一般的なものとして決めつけすぎています。酔っぱらいさんは場合分けができていません。戦後の日本を病理だというところに全否定思考がよく表れています。

 

ラグビーにおけるにわかファンの登場が「寂寥感」を生み出すから病理だと主張しています。「風が吹けば桶屋が儲かる」というのはそれなりの筋があるのですが、この人は「風が吹けば世界は破滅する」と言ってるようなもので論理がぶっ飛んでいます。まるでキリンの首が長くなったのはキリン独自の進化物語があるかのように主張するようなものです。

 

「病理」という言葉を使えばいかにも自分が分析力に長けているという表層的印象を与えますが、その内容を見ると分析などという代物などでは決してなく、偏見と独断と傲慢さに満ちた個人的見解です。論理的に納得させるものではありません。すぐに人を「病気」だと決めつけるのは、ご自身がそうだからではないでしょうか。

 

ちなみに酔っぱらいさんへのコメントでAさんは「メンヘラには辟易とする」と書いています。Bさんがメンヘラかどうかはわかりませんが、少なくともBさんはAさんがそういう考えをお持ちの方であることを認識しておかれるとよいでしょう。