国立の戦没者慰霊施設の建設が望ましい(青字追記) | 世の中とかなんやかんやに対する感想

世の中とかなんやかんやに対する感想

できるだけ俯瞰して世の中のことについて書いてみたいと思いますね。

(まず私個人としては死者の霊など存在しないということはことわっておきます。したがって一般普通の人たちが抱いている「慰霊」の感情を客観的に考慮したうえで記事を書いています。)

 

今夏、安倍首相以下、内閣閣僚は全員靖国神社参拝を控えました。なんでも来春桜の咲くころに習近平を来賓として迎えることへの配慮だそうです。

 

この靖国神社参拝をめぐって中国が激しく抗議するのはA級戦犯が祀られているからだということです。日本の神道と海外の宗教観とは異なるので、日本側にしてみれば、それこそ信仰の自由をタテに靖国崇拝を正当化すること自体は問題ないはずです。

 

しかしながら満州事変に始まる第二次大戦に関して、日本が中国大陸で行った行為を咎める中国人の国民感情は非常によく理解できます。また太平洋戦争においても日本が戦争を決断した経緯にしてもアメリカの策略だという部分も大いにあります。

 

それでも太平洋戦争開始に至った理由はともかく、戦争継続を唱え続けた大本営責任者は日本をも滅ぼそうとしました。「本土決戦で一億総玉砕」などというのは、日本を滅ぼす思想です。そこにどれだけの悲劇があるのかなど考えなかったのです。

 

東京裁判では戦勝国側の一方的裁判といわれていますが、日本国内でもやはり日本を破滅させようとした人たちに対し明確な姿勢を打ち出すべきだと思われます。

 

1963年に吉展ちゃん誘拐殺人事件というのがありました。捜査に当たったのは平塚八兵衛です。執念の取り調べの結果、小原保という男が犯行を自供し、死刑になりました。この事件は当時の世論を沸騰させ、非難ごうごうたるものだったようです。そして・・・

「退職後、平塚が逮捕した犯人で死刑となった者たちの墓参りに行ったが、このうち吉展ちゃん誘拐殺人事件の犯人である小原保の墓参りに行った際、小原が先祖代々の墓に入れてもらえず、横に小さな盛り土がされただけの所に葬られていた事に愕然とし、盛り土に触れた後に泣き崩れた。」(Wiki)

 

小原保は墓に入れてもらえなかったのです。

 

であれば、すでに敗色濃厚の中、数十万人の若い命を戦場に送り込んだ大本営の責任者を「死んだら皆、神になる」という理由で、靖国に祀り、頭を下げるという行為は外国から見れば理解しがたいものでしょう。

 

甲子園のアルプス席で必死の応援をし、涙を流し両手を組んで祈る女子高生たちの姿が、昭和18年10月21日、雨が降りしきる明治神宮外苑競技場スタンドで学徒を見送る多くの女学生の姿と重なるのです。涙を流すことすら「非国民」といわれるご時世できっと愛する恋人を見送る女性たちも大勢いたかと思います。

 

8月9日にNHK「マンゴーの樹の下で~ルソン島戦火の約束」が放送されました。フィリピンの日本商社に若い女性が就職するのですが、昭和19年の米軍のフィリピン進攻で日本軍が敗走します。ジャングルの中を逃げる主人公を、もはやゾンビのような日本軍兵士が襲うシーンがあります。ドラマを見ていると日本軍兵士が邪悪に見えますが、過酷な戦地で命を落とした兵士の中には、きっとあの学徒出陣壮行会で行進をしていた若者もいるに違いないのです。ヒロインは「だれがこんな戦争を始めたのか!」とやり場のない怒りを表明しますが、戦争を始めた経緯はいざ知らず、昭和19年ですので「誰がこの戦争を続けるのか!」といいたい気持ちにかられます。

 

とにかく昭和20年の東京・大阪をはじめとする本土空襲、対馬丸撃沈事件、青函連絡船空襲事件、列車空襲、機雷投下、沖縄戦、そして広島・長崎の原爆投下など、戦争末期の日本の被害は甚大なもので、それもこれも戦争継続を主張し続けた大本営の責任です。

 

わずか4歳の子供たった一人を殺害しただけで、死んでもなお許されなかったのであれば、数十万~数百万の人たちの同胞の命を犠牲にするような作戦を実行した責任者たちを合祀することに違和感を感じたとしても不思議ではないのです。正直理不尽な命令を下し続けた大本営司令官級(A級戦犯以外の人も含む)と、その犠牲になった一般兵士たちが合祀されるのは、個人的には同じ日本人としても納得がいきません。広島平和記念資料館、長崎原爆資料館、霞ヶ浦にある予科練平和記念館、大和ミュージアム、知覧特攻平和館、大刀洗平和記念館、沖縄平和祈念資料館、ひめゆり平和祈念資料館、舞鶴引揚記念館に行っていつも感じるのは戦争継続を主張した大本営に対する怒りです。売国ではなく滅国です。でもそれが日本人の信仰というのであれば、靖国参拝は慎重さが要求されます。

 

中国が靖国崇拝に対して感情的になるのはA級戦犯が合祀されていることであり、それに対する配慮から靖国を参拝しないというのは、他の戦死した兵士たちの御遺族は残念なのではないでしょうか。

 

靖国は何も第二次大戦で亡くなった兵士だけではなくそれ以前の戦争で戦死した兵士も祀っています。ですから何も第二次大戦終戦の8月15日にこだわらなくてもいいのです。

 

日本人と周辺諸国の人たちの気持ちを納得させる唯一の解決策は、国立の戦没者慰霊施設を整えることです。

 

確かに8月15日には日本武道館で「全国戦没者追悼式典」が行なわれ、両陛下や内閣総理大臣などが列席して追悼の意を表します。でもそこは戦没者を常時追悼できる施設ではありません。365日いつでも追悼したいなら靖国へ行け、というのであるならば、A級戦犯にも手を合わせることになります。このことに抵抗を感じる人も多いのではないでしょうか。

 

であれば、首相や閣僚を始めとし、本当の意味で戦争の犠牲になった若者たちを含め多くの兵士を365日、他人の目をはばかることなく追悼する施設をなぜ建設しないのか不思議でなりません。ただしABC級戦犯は除外です。

 

中国への配慮で靖国参拝ができない首相と閣僚の姿は戦争の犠牲者になった多くの兵士の御遺族に対し大変失礼なことです。堂々と慰霊ができる施設が必要です。