組織が間違っているということが分かったのちも、やむを得ぬ理由で組織にとどまらざるを得ない人たちを私はスパイだとは思っていません。
しかしながら、少なくともその組織にいる限りは務めというか義務というものがあるでしょう。
春の大阪府知事選挙で、敗れはしましたが、小西禎一氏は以前橋下元大阪府知事に行政手腕を認められ、松井知事一期目は、副知事として財政黒字に貢献しました。小西氏は都構想反対の立場でしたが、副知事としている限りはその任をよく果たしました。小西氏は「意見の違いははっきり言うが、府の方針に従うのは当然」と言ったそうです。
橋下氏も松井氏もそのような小西氏の人間性を高く評価しました。
エホバの証人の場合は「意見の違いをはっきり言うこと」すらもままならないがゆえに、ブログやSNSなどで吐かないといけないこともあろうかと思います。しかしながら、たとえそうでも真剣にしている人たちを傍目にしながらその人たちを茶化すという段に至っては、もはや組織に交わる大義名分は著しく消滅します。責任を果たさないどころか、裏切り者と見なされます。
茶化す姿勢に対して、「その方のブログを読んで笑い飛ばせる人、おぃおぃ茶化すのもたいがいにせやと感じる人、正義感に溢れて怒りに燃える人、それぞれだと思います。」というご意見がありました。
ということは「正義感に溢れて怒りに燃える人」の目も意識しなければならないということです。もともと一般的にまじめに物事をおこなっている人間を茶化す人間に対しては、それほど正義感にあふれていない人であってもあまり快くは見えないものです。
それに加え、普段は何食わぬ顔で仲間を装いながら、陰で茶化しているようであってはなおのこと快く思わないでしょう。どのような組織でもそのような「裏切り者」に対しては厳しい目が注がれます。
エホバの証人においてやむを得ぬ理由で組織に交わりながらただ自分の苦しみを吐露することに対しては私は何の問題もないと思っています。これは従来から変わらぬものです。
ただどんな場合でもブログで記事を公開する以上は「批判の目」には晒されることは意識しなければならないのです。もし批判されるのが嫌ならば、限定記事にすべきでしょう。私は限定記事には全く興味がなく、サブ垢を作って潜り込むような真似はしません。
苦しんでいる人が身バレしたときには同情する人もいるかと思います。しかし茶化して記事を書くような人が身バレしたときにはどうでしょうか。苦しんでいる人の中には、「やりたい人はやればいいけど、私にはそれができない。」という立場の人もいますが、そういう人は行っている人に対し、一定のリスペクトを払っています。
しかし一生懸命にしている人を侮蔑するようなことを書いている人が身バレした場合は、たとえ完全忌避という取り決めがないにしても、完全シカトを食らうことは目に見えています。ましてや、大きな犠牲を払った人を言うまじき侮蔑の言葉をかけるほど同情心のない人だとみなされればなおさらです。「偽りの生き方」をしている人にだれが話しかけたいと思うでしょうか。
それを以って、無視された側が「愛がない」と主張しても一般的には考慮されることはありません。事情を深く知れば「なあ~んだ、そりゃ仕方ないわ」と思われるのです。そしてその扱いは勿論家族にも及ぶことでしょう。そこまで考えたうえで軽率な言動は慎むべきでしょう。思考暴走とはそういうことです。
身バレしたときにでも十分説得力のある弁明ができるように心がけて言葉を紡ぐのが身の守りとなります。