“ソランジン”…「神呪寺」と「鷲林寺」の風景 | Once upon a time by Bonze

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 神呪寺は、しばらくぶりになります。

 “ソランジン”の話から…

 ボクの頭に浮かぶ、

  “ソランジン”のイメージは

 子どもの頃に映画で観た、ギャオスだ。

   そう、ガメラのヒール役




 「神呪寺」と「鷲林寺」

  すぐ近くにある二つの寺


  この二つの寺の共通点


    空海vs“ソランジン”


…“鷲林寺”のホームページでは、

 次のとおり掲載されている。


“鷲林寺と神呪寺が伝える麁乱神”
「ソランジンは鷲林寺(じゅうりんじ)の開基伝に登場するが、神呪寺(かんのうじ)開基伝にも登場する。神呪寺は西宮市のシンボルとされる甲山(かぶとやま)の麓に位置する真言宗の寺院である。

 鷲林寺の開基伝説の主人公が弘法大師であるのに対して神呪寺のものは如意尼公(にょいにこう)となっている。如意尼公は淳和天皇の妃であり弘法大師の弟子のひとりとして伝えられる。如意尼公が弘法大師の協力を得て神呪寺を建立しようとしていた時、鷲林寺からソランジンと呼ばれる神が大鷲に姿をかえ建立の邪魔をしに来た。その本体は八面八臂(はちめんはっぴ…顔が八面で八本の腕を持つ)である。如意尼公は何度も襲いかかるソランジンに恐怖を感じ大師に相談した。東の谷に大きな岩があるのでその上に神をまつれとの大師の教えに従ったところ、それ以降邪魔をしなくなり逆にソランジンは守護神となったと伝える。

 開基を伝える資料の中で現存する最も古いものは元亨釈書(げんこうしゃくしょ)である。元亨釈書は鎌倉時代に虎関師錬(こかんしれん)が著した書物で

30巻からなる資料である。この中に如意尼公が神呪寺を建立した記述があり、そこに麁乱神を登場させる。元亨釈書以降の記述はすべてこれを元に著されているものと思われる。また、弘法大師弟子譜卷十の天長七年二月の項には、如意尼公が神呪寺を建立しようとした時、麁乱神が邪魔をしたことを説き、この麁乱神が鎮守伽藍神(ちんじゅがらんしん)となり、これをまつる寺を鷲林寺としたと記述されている。

 鷲林寺と神呪寺が開基された時代はほぼ同年代と伝えられているが、数ある開基伝では如意尼公を中心にした物語が大半を占めるのに対し、鷲林寺に伝わる開基伝のみが如意尼公を登場させず弘法大師を主人公としている。これは鷲林寺と神呪寺の間で勢力争いがあったことを意味するのではないだろうか。…」


【↑「六甲山 鷲林寺」のホームページから】



 神呪寺の風景










 鷲林寺の風景







…ガメラ対ギャオスを想いながら…😅




      …🙏合掌