“場所”に対して何と言っているか? | 魂の世界に生きる

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私が内なる世界と呼んでいたものは魂の世界だった。

私が物事を理解する為には、「感じている事」と「言っている事」を一致させる必要が有ります。

 

一致して初めて「分かった」となって、分かった事に関しては思いのままに出来ます。

 

何をすれば良いのか分かっているわけですから、迷い無くその為に動く事が出来るのです。

 

「感じている事」は「思っている事」とは違います。

 

「思っている事」と「言っている事」を一致させて動いたとしても、「感じている事」からズレていれば思いのままにはなりません。

 

「思いのまま」とは、「感じるまま」という意味として捉えた方が適切かと思います。

 

 

 

私の基準は“場所”と見て正しいと思います。

 

「何をしているか?」ではなくて、「何処に居るのか?」という事の方が重要なのです。

 

これがやりたい事を探しても見付からない理由だと思っています。

 

私はきっと、行きたい所や居たい所を探す必要が有ったのです。

 

その“場所”にはやりたい事や他の事も全て含まれている事でしょう。

 

単品で望むより、その方が絶対に良いですよね。

 

 

 

私も結構あちこちの土地や会社に行っています。

 

“場所”に対して何かしらの基準を持っていて、今まで行った所は全てその基準に満たなかったわけですね。

 

その基準は非常に高いものだと推測されるのですが、それこそが“場所”に対して言っている事だと思います。

 

「その“場所”に対する非常に高い基準を一言で言うなら?」という事ですね。

 

その一言が私そのものを現すのです。

 

私はそれを知りたいのですね。

 

 

 

気持ちとして表現するなら「ずっと此処に居たい」になるのですが、「それを何と呼ぶか?」という事です。

 

人に対する「ずっと一緒に居たい」なら「それは“愛”だ」と分かるのですが、“場所”に対する「ずっと此処に居たい」は何になるのでしょうか?

 

それも“愛”と呼べなくもないですが、何か違う気がするのですね。

 

“場所”の中に女性が居る(“愛”が在る)わけですから、「“愛”をも包括する何か」だと思うのですが、答えが出るのは今ではないようです。