私と1つになりませんか? | 魂の世界に生きる

魂の世界に生きる

私が内なる世界と呼んでいたものは、魂の世界だった。

「感じられる」とはどういう事か?

 

これは私のスピリチュアルにおいて、2つの事実が有ります。

 

私としては事実なので、私の中では完全に機能します。

 

1つは「私はそれである」という事。

 

もう1つは「それと分離している」という事です。

 

もし、それを自身のものにしたいと望むなら、両方の事実に気付き、両方共に認めなくてはなりません。

 

「気付いているのは片方だけ」とか、「気付いているが認めない(信じられない)」ではいけません。

 

 

 

私は今日まで分離している事に気付いていませんでした。

 

気付いたと同時に、「私と1つになりませんか?」という問いが浮かんで来ました。

 

私が言ったのか、内なる異性が言ったのか区別出来ませんでしたが、断る理由など何処にも無いのは明白です。

 

内なる異性との統合。

 

確かに人生のテーマとし得るものでしょう。

 

特に私の様に異性を求め続けている事を自覚する者にとっては、尚更納得してしまいます。

 

 

 

私はふと、「内で分離しているから、外でも離れているのだろうか?」と考えました。

 

それが正しいと仮定すると、以下の可能性が考えられます。

 

 

・そもそも出会えない。

 

・出会えていて、身近に居るが、誰なのか分からない。

 

・出会えていて、ある程度見当も付いているが、身近には居ない。

 

 

私がこの中で可能性が有りそうなのは2番目と3番目です。

 

もし1番目なら、私は出会いを求めて動き回ろうとしていたはずです。

 

 

 

そして、こうも考えました。

 

もし、内なる異性と統合すると、外の世界に実際に分かる形で現れたらどうなるか?

 

外の世界の存在なのだから名前も有るし、どんな姿をしているかも分かる。

 

「どの様な存在か?」など「かけがえの無い存在だ」で決まりだろうし、今までの問いに対する答えが一辺に出るのではないか?

 

流石の私も「都合良過ぎ」と思うのですが、外の世界でどうなろうと内なる異性との統合が果たされるのであれば、それ以上を求める気持ちはあまり有りません。

 

「全く有りません」と言っていないのが、少し狡いでしょうか?