何かを叶えたがっているように思います。
そして、叶えたいのは私自身の事ではないようにも思います。
私は私利私欲を尽くし、我が儘を尽くし、自分勝手を尽くしましたので、もはやこれ以上何かを求める意欲がありません。
だからこそ“利他”に目を向ける気になったのです。
そうなると、「私ではない誰かの何かを叶えたい」という事になります。
「誰かの何か」って全く何も分かっていないも同然ですが、少なくとも“叶えたい”という事は感じ取れます。
まずはこの“叶えたい”を聞き取る事から始めてみます。
どうも「他力というは如来の本願力なり」という言葉が印象に残ります。
“叶えたい”と本願力は何か通じるものがあるのでしょうか。
今日は時間的にこの先を望むのは厳しいでしょうが、眠りに入るまで“叶えたい”を感じ続けます。