低所得に“恥”を見る | 魂の世界に生きる

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私が内なる世界と呼んでいたものは、魂の世界だった。

自分でも「何故今更?」と思っていますが、出て来たものは仕方ありません。

 

私は「低所得は恥だ」と思っていて、実際にそれを感じています。

 

思っているだけなら何の問題も無かったのですが、感じているとなると話は別です。

 

私にとってそれが事実である事を意味するからです。

 

「低所得は恥である」というのは、他の誰が何と言おうと覆す事が出来ない事実です。

 

私の中では、低所得である事は犯罪を犯すのと大差無いくらい恥なのです。

 

 

 

断っておかなくてはならないのは、これが当て嵌まるのは私だけです。

 

他の人が高所得だろうが低所得だろうが、それは私とは何の関係もありません。

 

私よりも低所得な人に対して「貴方は恥だ」と言っているわけでもありません。

 

ただ、私が独りで自身を恥ているだけです。

 

「もう無いだろう」と思っていたコンプレックスを今、感じています。

 

 

 

どうやら、私が低所得なのは意図的であるようです。

 

わざとその状態に留めている気配が有ります。

 

「ここから何かを学べ」という事なのでしょう。

 

私が「人生は学びと成長だ」なんて言ったから、今になって出て来たのでしょうか。

 

 

 

「受け入れろ」という事なのでしょうか。

 

「そういう私である事を赦せ」、あるいは「そういう私を愛せ」という事なのでしょうか。

 

ここで結婚を決める場面が浮かびます。

 

私が低所得のまま、相手に愛を告げなくてはならない場面です。

 

とてもではないですが、出来たものではありません。

 

まさに「どの面を下げて」とか、「どの口が言う」とか、そんな感じです。

 

今の私は賛成出来ません。

 

何でも受け入れられる自信が有りましたが、流石に恥を知るべきではないでしょうか。

 

 

 

「恥を知れ(学べ)」という事かも知れませんね。

 

しばらくの間、この恥に付き合ってみる事にします。

 

上手く行けば恥の裏側を見る(感じる)事が出来るかも知れません。